残-ZAN-  第四夜 灰色の風 



1.ルイ




人は未来を知る事が出来ない。
そんな便利な能力が備わっていれば、こんなにも荒くれた世の中にはなりはしなかっただろう。
けれどまた、人間とヴァンパイアが共存をしようなどという方向にも向かなかったかもしれない。
結局は、成る様になるしかないのだと思い知らされる。
それでも私は足掻いてしまうのだろうが。



歳月という物は案外あっさり過ぎ去ってしまう物。
あの新月の夜の襲撃で受けた傷もすっかりと癒えた頃、居城内は一つの噂でもちきりとなっていた。

「ルイ様がお戻りになるらしいわ!」
「まあ……何年ぶりかしら」
「今回は一体何人のドールをお連れになるのでしょう」
「楽しみですわ」

そう言った声が毎日四方八方から聞こえてきて、城内は……特にドール達は誰も彼も酷く浮き足立っていた。
その時ばかりは自らの所有者の存在など忘れてしまっているかの様に、すれ違う女の口からは一様に「ルイ」と言う名前が聞き取れて、また彼の訪れを待ち焦がれるかの様に、毎夜白い花の揺れる庭園はいつも以上の賑わいを見せた。

「どこもかしこもルイ・ルイ・ルイ・ルイって凄いね。そんなにいい男なのかなぁ」

女達の群がる庭園を自室の窓から見下ろしてぼんやりと呟いたそのセリフに、周囲からは爆笑と言う名の返事が返ってくる。

「ちょっと……何で笑うのよ」

その反応を不本意と思って口を尖らせて抗議すると、私を取り巻く三人の男達が口々に言う。

「そんなしみじみ言うな。なんか可哀想になってくる」

とロイズハルトが言えば。

「こんな近くにこんなイイ男がいるのになぁ。欲張りだぞ」

とデューンが言う。
そして最後に。

「エルも男に興味が出てきたの?」

と小悪魔が笑った。
私はそれを少し冷めた目で傍観する。

こんな光景にはすっかり慣れてしまった。
新しい部屋に変わってからというもの、シードの三人は何かにつけて私の部屋に入り浸る様になった。
彼らの部屋と私の部屋がほぼ隣り合わせと言う事もあったのだが、また新たなドールに命を狙われたりしないだろうかと一時変に怯えた私に対して、リーディアは心配ないと笑っていた。

「むしろ当分の間はエルフェリス様を信望するのではないかしら」

どうして心配ないのか問い掛けた私に対して、リーディアは何かを含んだ瞳を細めてそう言った。
後から改めて聞き直したところ、どうやらドールの最大勢力であったカルディナの謀略を翻し葬り去った事に、ドール達の私を見る目が一気に変わったらしいのだ。
レイフィールのドールは元々私に良心的だったが、ロイズハルトや他のハイブリッド達のドールの私に対する態度は、正直一番の逆風であった事は否めない。
彼女らも或いは、ただの人間である私がこの居城に留まり続ける事に対して反感を抱いていたのだろう。
今まで生身の人間は三者会議の時くらいしか滞在を許されなかったらしいから。
突然現れて、さらにでかい態度と待遇で大腕を振る私を良く思わない心理は十分に理解出来る。
カルディナの攻撃を受ける私を嘲笑う声が所々から聞こえて来ていたのも、私は知っている。
その時は、彼女らもカルディナと志を共にしているのだと勝手に思っていた。
けれど彼女達も私の知らないところで随分とカルディナに苦しめられていたらしい。
以前ちらりとレイフィールのドールにその様な話を聞いた事があったが、それよりもなお計り知れない様な事が日常的に繰り返されていたとかいないとか。
だからあのような結末に対しても、ドールからは一様に絶賛の声ばかりが掛けられた。

私はあんな結末は決して望んではいなかったけれど……。

ともかくカルディナの一件があった事実を踏まえて、身辺警護の意味も含め、城内で一番護りの堅い最上部に部屋を用意してくれたのだそうだ。
これならばシードの目も光っているし、このエリアに入れる者も極僅か。
となれば、誰でも出入り出来る以前の客間とは比べ物にならないほどに私の安全は保証される。
自分の身くらい自分で守れる。
そういう私の意見は当然のごとく却下された訳だ。

しかしそれならわざわざシードに守ってもらわなくても……といった内容の言葉をリーディアに言ってみたところ、ハイブリッドではいまいち信用に欠けるのだと彼女は切なそうに微笑んだ。
それがどんな真意を含んでいるのかは分からなかったが、暗にではあるがこの城内にシードに仇名す者達が潜んでいる可能性もあるのだろうかと、私は一人勘ぐった。

「それにしてもルイに会うのなんて久しぶりだし、僕も緊張するなぁ」
「お前が緊張してどうする」

子供のようにキラキラと目を輝かせてはしゃぐレイフィールに、デューンの鋭い突込みが炸裂する。
それでもレイフィールは心底嬉しそうな顔をして、「だって楽しみなんだもん」と無邪気に笑った。

楽しみ……か。
確かに私としても楽しみではある。
だって彼の元には姉が……エリーゼがいるかもしれないから。
シードの中でも圧倒的な数のドールを所有している故に連れて歩くドールは逆に少ないというが、以前レイフィールから聞いたエリーゼかもしれないと言うドールはルイのお気に入りである事から、今回も同行してくる可能性が高いとシードの三人は口を揃えた。
そうである事を望んでやまない。
しかし、もしそのドールがエリーゼでなかった時は、もう潔く諦めるつもりだ。
シードに出逢ったと言った姉。
今存命しているシードはたったの四人。
その中の三人が、エリーゼを知らなかった。
後はもうルイしか残っていない。
そこを外せば、エリーゼの行方を辿る事は不可能となるだろう。

「エルの捜している人、見つかるといいね」

そんな私の心境を察したのか、レイフィールは少しだけ笑顔を真顔に戻してそう言った。
その言葉に私も僅かな笑みで頷き返す。

本当に……。
私はその為にこの城に来たのだから。



そしてそれからまた数日後、ついに城内が尋常で無いほどにざわめき立つ瞬間を迎えた。
城に住まうありとあらゆる者が出迎える中を、帰って来たのだ。 

あの男が。

けれど私はちょうどその時、滅多にひかない風邪をこじらせてしまい、ベッドの中でぐったりな日々を送っていた。
こんな場面でどうして風邪などひくのかと自分の身体を恨めしく思ったが、熱で言う事をきかない体では、窓辺に行ってその姿を拝む事すら億劫に感じてしまう。
女達の色めき立つ声が最上部のこの部屋にまで鮮明に響いてくる。
その喧騒の中心にエリーゼがいるかもしれない。
それでも私の中の情熱が一瞬勢いを失ってしまったかの様に、私はそのまま深い眠りへと落ちて行った。



時を同じくして……。

「エルー? 入るよ? てか入っちゃったけど」

そう言って部屋に入ってくる者達がいた。
もちろんそれよりも少しばかり前に寝入ってしまった私はそれに気付くはずもなかった訳だが……。

「エルー?」

明るく声を弾ませて、ぴょこっと顔を覗かせたのはレイフィールだった。
そしてその後をデューン、ロイズハルトが続く。
三人は一様に私の眠るベッドを取り囲んで、そしてぐうすかと眠りこける私を見下ろした。

「……寝ちゃってるよ」
「だな。まだ熱下がらないのか?」

そう言っておもむろにロイズハルトの手が私の汗ばんだ額に伸ばされる。

「……だいぶ高い……。やはり無理したのがいけなかったようだ」
「治った治った騒いで茶会なんかに出るからだよ。誘ったのレイのドールだろ?」
「えー? それって僕のせいなの?」

普段なら煩いと怒鳴り付けるであろうやり取りが枕元で行われたが、それを諌める者のいないゆえに、彼らの意味不明な言い合いは次第にヒートアップしていく。

「お前のせいって言うか、お前ドールのパシリにされてたじゃねぇか! お前がエルを無理やり誘ったところ見てたんだからな」
「だってエル誘ってくれなきゃ血くれないって言うんだもん……」

デューンの厳しい追及に抗議しつつも、レイフィールはそっと小声で呟いた。
もちろんそれをデューンやロイズハルトが聞き逃すわけが無い。

「てかお前、ドールの尻に敷かれてんのかよ! アホの極みだな!」

ハッと両手を広げて、さっそくデューンは呆れ顔で口元を引き攣らせる。
またロイズハルトは片手で目元を覆い、ふぅと長い溜め息を吐いた。
そして当のレイフィールは、憤怒の表情を浮かべて両の手をきつく握り締めた。

「アホって言うな、このバカッ!!」

そしてそれを振り下ろしながら、耳が破れんばかりの勢いで喚き散らす。
その言葉に、デューンの顔色がさっと変わった。

「あんだと、このクソガキッ!!」
「ガキって言うなッ!!」
「じゃあエロガキか? いや、へたれなエロガキだな!」
「なんだとッ!?」

いつか見たような掴み合いが、部屋の中で再現された。
互いが互いの首元を掴んで、力任せに押し問答を始める。

「おいコラッ!! 病人跨いで喧嘩すんなっ!!」

それに、止めに入ったロイズハルトも加わって、ベッドの上はさながら小さな戦場と化した。
我関せずとばかりに寝入る私と、暴れる男三人の重みに耐えかねて、ギシギシと嫌な音を響かせるベッド。
しかしその音はシードの三人が生み出す怒声に阻まれて、掻き消されていった。

その中をゆっくりと歩み出てきた男が一人。

「くすくす。三人ともそのくらいにしておきなさい。病人の枕元でそんなに騒いだらいけないよ。起きないこの娘もある意味凄いとは思いますけどね」

遠慮がちに声を潜めて微笑むその男はまるで、夜空に煌めく月の様だった。
微かな動きにもしなやかに流れるプラチナの髪。
すらりと伸びた手足。
そして天使と見紛うほどの甘くてはっきりとした顔立ち。

「あ、ルイ。ごめんね? 疲れてるのに呼び出して。会って欲しかったのはこの娘なんだけど、寝ちゃってるからまた今度でいい?」

妖艶に微笑む男を前に、今までの修羅場を作り出していた者とは思えないほどあっさりと態度を一変させたレイフィールは、いつもの様相でルイと呼んだ男に対してそう言ってみせた。
それにルイはゆっくりと頷く。

「ええ、もちろん。放浪生活も長かった事だし、私もそろそろここに身を置こうと思っているので、いつでもどうぞ、とお伝えなさい」

そうしてにっこりと微笑む。
すると何故か不審の色をその顔に浮かべる者が二人ほど。

「え……まさかドール全員呼び寄せる気じゃないだろうな」

デューンがそう言えば。

「ルイのドールは相部屋にしてもらうからな」

とロイズハルトが言う。
それをルイはバツの悪そうな顔で苦笑しながら聞いていた。

「ご心配なく。今回連れてきた者以外を城に呼び寄せる気などありませんよ」
「それでも十分多いと思うんだけど……」

デューンの口からぽろっと出た言葉は本音なのかどうか。
彼の呟きはルイの耳にも届いたのだろう。
ルイの形の良い唇から笑い声が零れた。

「はは! まあそう言ってくれるなデューン。女を愛す事は悪い事じゃない。あなたもドールの何人か持てば分かりますよ」
「俺は本命たった一人って決めてんのー!」
「それも大切な事ですけどね」

わざとおどけるデューンに、苦笑するルイ。
二人の意見が交錯する中を、レイフィールとロイズハルトは半ば呆れ顔で室内を出て行こうとした。

「二人とも! 病人の枕元で騒がない騒がない。久しぶりに四人揃ったんだし、場所移そうよ! 僕ルイの話聞きたいな」

まるで子供の様に無垢な笑顔を浮かべるレイフィールに、みるみるうちにルイの口元が緩んでいく。

「いつ会っても可愛いですね、レイは。では行きましょうか」

レイフィールの提案に頷きながら、ルイはくすくすと笑って身を翻した。
そしてその言葉を合図として、シードの四人はそれぞれ部屋を後にする。
だが去り際、ルイはふと足を止めると、もう一度だけ室内を振り返った。
それに気付いたロイズハルトも少し先で歩みを止める。

「どうしたんだ? ルイ」

そう言ったロイズハルトの声は聞こえていたはずなのに、ルイはしばらく答えないまま、じっと何かを思案している様だった。
訝しげに思ったロイズハルトが再度その名を呼ぶ。

「ルイ?」

すると今度はすぐに反応が返ってきた。

「いや、すまない。その娘があまりにも私のドールに似ていたものですから」
「ドール?」
「ええ、他人の空似か……本当に見れば見るほど……私のエリーゼにそっくりだ」

その瞬間。
時が止まる。

「エリーゼだと?」

ルイが何気なく口にしたその名前に、ロイズハルトは動きを封じられたまま、しばらく眠る私から視線を外す事はなかった。





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