残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



7.狂愛の果て(1)




苦しい……。
誰か助けテ……?
私はここにいるのに……。
あア……ロイズ様。
助けて下サ……イ……。





「ねえリーディア。こいつらいつの間に紛れ込んだのかなぁ? 初めにいたやつは確かにハイブリッドだったわけでしょ?」

アンデッドの群れを振り払って再び居城とは反対側の森へと入ると、私は隣を走るリーディアにそう問い掛けた。
どうも腑に落ちなかったのだ、ずっと。
私の血で灰となった者達は確かにハイブリッドだった。
あの時点では確実に形勢逆転したはずなのに、僅かな間に灰と化した者達と同じだけの人数が増員されていた。
そしてその後も同様に。
斬れば斬っただけ数を増やしていく男達に私もリーディアも手こずる羽目になったのだ。

「そうですわね……最初に葬った男は確かにヘヴンリーの配下でしたが……他の者は見知らぬ者ばかりでしたので……何とも言えませんが」

時おり背後を振り返ってアンデッド達の動向を探りながら、リーディアはそう言った。
そしてふいに足を止める。

「どうやらうまく撒いた様ですわ」
「ほんと?」

その言葉に従って私も振り返ってみれば、追っ手と化していた男達の姿は何一つ見当たらなくなっていた。
耳を澄ましてみても足音らしきものすら聞こえない。
無意識にホッと溜め息を吐いていた。
その途端に今までの疲れがどっとやって来て、足が鉛の様に重くなる。

「このすぐ先に泉の水源となる滝があります。アンデッドを作り出しているのだとしたら……そこが怪しいですわ」
「どうして分かるの?」
「アンデッドを作り出すには水が必要なのです。水と土。そして微量の血液と核となる骨。それらを集めたら禁忌の呪いを。そうしたらほら、人形の出来上がり。……ヴァンパイアに伝わる一節ですわ。集めた素材で器を作り、禁術の魔法で魂を吹き込む。そうして生まれるのがアンデッド。ですがその命はたった一夜限り。陽が昇れば私達と同じ様に灰となって消えていくのです」
「たった……一晩の命……か」

それでもそうやって作り出された者達は、一人一人仮初めの魂を持つ。
例え一夜で燃え尽きる命であったとしても自我を持つのだ。
禁術たる魔力の力を借りて。

「でもさ、禁術って言われるくらいだから使える人物なんて限られてくるでしょ?」

太古に常用されていた禁術は遥か彼方の過去に、突如影を潜めた。
死んだ身体に再び光を呼び戻す行為は自然の理に反すると、当時対立していた種族の全てが一致した見解を示したからだ。
以来、蘇生術と呼ばれていたその魔法は禁忌とされ、指南書は焼き払われた。
術を習得した者はそれぞれ厳しい監視の下、ひっそりと命を終えていった。
やがてゆっくりではあるが禁術は禁術として人々に根付くようになり、術を知る者もゆっくりと姿を消した。
今ではもう、その魔法がどのような物であるのかも知らない者の方が圧倒的に多いだろう。
少なくとも人間の間では、高位聖職者以外には伝承されてすらいないのだから。

「あの術は実は私も最近まで存じませんでしたの。けれど数年前に他愛の無い会話からその存在を知りました。そして実際にその術を使えるという人物も……」
「――っ!! 知ってるの?」

思わず叫んだ後に私は慌てて両手で口元を塞いだ。
幸い追っ手の気配は感じなかったが、やはり周囲の様子は気になる。
なるべく息を潜めて声を潜めて行動していたというのに、たった一つの要因から全てが台無しになる事なんて幾らでもあるのだ。

「それで……誰なの? 禁術使いがこんな近くに……いると言うの?」

驚愕しつつも小さな声で小さな声でリーディアに問う。
すると彼女は一瞬躊躇いの色をその瞳に浮かべたが、まるでそれを封印するがごとくゆっくりと目を閉じた。
妙な熱風が頬を掠めていく。

「ヴァンパイアの中ではただお一人……ロイズ様が……」

低く呻く様なリーディアの声が、熱い風に乗って流れて行った。





慌しく居城内を走り回る者達の足音が静まり返った回廊に響き渡る。
先ほどから自室のバルコニーから泉の方角をじっと見つめたまま動きもしなかったレイフィールはさも邪魔だと言わんばかりの表情で、それでも何かを思案していた。
闇色を取り戻した空と、やたら騒ぎ立てる女達の声を背に。
しかし時間を経るごとに何やら城内の騒ぎの方が大きくなっていくようだった。
それはまさに秒刻みで。

「あーーー。もう! 煩いなッ!!」

これではまとまる考えもまとまらないと、人知れずレイフィールは苛立った。
他人の……取り分け女の上げる喚き声は殊の外響く。
脳細胞や鼓膜にあの鋭い爪を立てられてキイキイと引っ掻かれているかのように。

「う〜〜。まずはあっちから片付けよっと!」

レイフィールはそう言うと、バルコニーの手すりに手を掛けて、何を思ったかそのままひらりと空中に身を躍らせた。
だが重力に逆らうその身体はまるで綿毛の様にふわりふわりと夜空を漂う。
そして遥か目下の城の入り口に降り立った。
そこでは数人の女達が血相を変えてあちらへこちらへと慌しく行き来している。
どれも何度かは見かけた事のある顔ばかりだ。
普段ならば自分の姿を見かけた途端に「レイフィール様、レイフィール様」と猫撫で声で寄って来る者達ばかりなのに、今日はまるで眼中にも入っていないかのように彼の横を悉く素通りしてくれる。

「ふ〜ん? 何処も彼処もおかしな夜だ」

自分だけは部外者だと言わんばかりに口から飛び出たそのセリフに、思わず自嘲の笑みが漏れた。
今夜のこの騒動について本当に蚊帳の外なのかどうかは、正直レイフィール自体分からない。
分からないから、こんなに能天気にしていられるのかもしれないが。
しかしこの様子だと、どうやらのん気に笑っている場合ではなさそうだ。

「ねぇねぇ、一体どうしたの? さっきから騒がしいみたいだけどー?」

あたかも何も知りませんと言った風を装って、レイフィールは一人の女を捉まえてそう問い掛ける。
一方の女は突然腕を掴まれて訝しげに眉をひそめて振り返ったが、レイフィールの姿を認めるや否や瞬時に顔を赤らめた。
しかしすぐにハッと我に返ると、僅かに緩んだ頬を無理やり引き締めてこう言う。

「これはレイフィール様。ご心配をお掛けして申し訳ございません。実はドール仲間が二人ほど行方をくらましておりまして……」
「ドールが? こんな夜に?」

女の言葉にレイフィールは密かに瞳を光らせた。
本当に何なのだ、今夜は。
あっちでこっちで訳の分からない事ばかり。
だが女はそんなレイフィールの様子に気付く事もなく話を進める。

「私達はロイズ様のドールなのですが、夕方あたりからアルーンとイクティの二人が見当たりませんの。今宵は一緒に茶会でも催そうと約束していましたのに……不思議で」

女はそう言うと、開け放たれたままの玄関の方を見つめて、ふーっと長く息を吐き出した。

「誘って来たのは彼女達の方でしたのよ? 急に外出でもしたのかしら。おまけにこんな時にもカルディナは姿を現さないし……」
「あの女は来ないでしょ。ロイズにしか興味無さそうだし」

女の心底うんざりした顔に興味を覚えて、悪戯にその不満を煽る様な言葉を返す。
すると女はまったくその通りなのだ、とレイフィールの思惑にまんまと乗ってきた。

「カルディナは本当にロイズ様一筋ですからね。私達ですら目の敵ですもの。嫌になっちゃう!」

よほど日頃の鬱憤が溜まっていたのだろうか、女は一度口を開くと聞いていない事までベラベラ喋り出す。

「利用する時だけコロッと態度変えちゃうし、その癖自分以外の誰かがロイズ様に召されるとヒステリー起こして喚き散らし……ご存知ですか? レイフィール様。彼女は未だにリーディア様の事も根に持ってるんですよ?」

女が何気なく口にした言葉に、レイフィールの顔色が僅かに変わった。

「リーディアはカルディナには関係ないじゃん」

何やら妖しげな色を含んだ笑みを浮かべるレイフィールがとぼけながらそう言うと、ドールの女はそうではないのだと首を振る。

「リーディア様がロイズ様の寵を受けていらしたと言う事実が許せないんだと思いますわ!」
「えー? だってリーディアがロイズのドールだったのなんてカルディナが来る前の話じゃん。そこまで気にすんの? あの人」
「しますわよ。そうじゃなければ大してロイズ様と接点のないエルフェリス様にだってあんな事……あ……」

女はそう言うと、突然口を噤んで下を向いた。
けれど時既に遅し。

「あんな事ってどんな事―?」

にっこりと微笑んだレイフィールが続きを話せと言わんばかりに女の顔を覗き込んでいた。
その笑顔に、女は小さく息を呑む。

「あの女……エルに何したの? ねぇ」
「いえ……あの……」

女が口を噤むほどにレイフィールはその距離を縮めていく。
その行動に女は明らかに狼狽していた。
小悪魔のような瞳は女の目を捕らえて離さない。

「言わないならアンタとカルディナがエルに何かしたってロイズにチクっちゃうよ?」

その言葉を聞くや否や、女は真っ青な顔でニヤリと微笑むレイフィールを見やった。
彼を見つめる女の目が動揺に揺れる。

「ちが……私はただカルディナに命令されて……!」
「……命令されて? それから?」
「……毎日……箱を……」
「箱?」

いまいち煮え切らない女の態度に内心イライラしながらも、レイフィールはやんわりと、けれど絶対的な圧力で女に先を促した。

「中にあんな物が入ってるなんて知りませんでした! でも……カルディナが毎日私達にそれをエルフェリス様に届けろと怒鳴るから……」
「どんな物が入ってたのさ」
「……私が見たのは……血塗れの……動物の……脚……」
「――ッ!! あの女……ッ!! ぶっ殺してやるッ!!」

冷めた青の瞳をカッと見開いて、レイフィールは今にも飛び出さんと踵を返した。
しかしそれをドールの女は必死に制止する。

「待って下さい! もう一つ気になる事を思い出しましたの! 行くならそれを聞いてからにして下さいませ!」

腕をがっしり掴む女の懇願にレイフィールは僅かに冷静さを取り戻して、再び彼女に向き合った。
それでももはや先ほどまでの笑みや余裕は微塵も感じられない。
必死に頭に血が上るのを押さえている様だった。

「何?」

女に語り掛ける声も実に乱暴。
その様子に女は小さく身体を震わせたが、ここまで喋ってしまったのだ、後はどこまで話そうが同じ事だろうと腹をくくった。

「先日……ロイズ様が出立された日の夜に、カルディナからロイズ様の手紙を預かりましたの。それを彼女の知り合いのハイブリッドに渡す様に……と」
「手紙? なんでハイブリッドなんかに」
「分かりません。……けれど、宛名には確かにエルフェリス様の名前が書いてあって……。何の手紙なのかカルディナに聞いたら、新月の夜になれば分かる……とだけ」

その言葉にレイフィールは眉をひそめて首を傾げた。

「新月……今夜?」
「ええ。……私もまったく意味が分からなくて、その事はすっかり忘れてましたの。でもそう言えば零時前に庭園城門に向かうリーディア様とエルフェリス様を見まして……その後泉の方から何やら争いの声が聞こえましたでしょ? もしや……」

女がそこまで言うと同時に、レイフィールの表情が再び一変した。

「それホント!?」

思わず女の肩をきつく掴んで激しく揺さぶる。
そのあまりの形相に怯えながら、女は困惑の表情を浮かべて何度も首を縦に振った。

「間違いありません! 特にリーディア様は戦闘服でしたし……」
「……なんて事だ……ッ!」

レイフィールはそう言うと、密かに手の中に忍ばせておいたあの赤い紙切れにそっと眼を移した。
途切れた黒の文字。
僅かに乱れてはいるものの、「EL」と読めはしないか。

「……エル……」

その先に続く文字は……。
その音を含む名前は……。

「何だよコレ……くそッ!!」

一人叫んで、赤い紙切れを音がするほどに握り潰す。
そして再び城内へと踵を返すと、近寄る全ての者を吹き飛ばさん限りの勢いで消えて行った。

「レイフィール様ッ!!」

ドールの女の引き止める声ももはやレイフィールの耳には届いていなかった。





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