残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



7.狂愛の果て(2)




時が凍りついた様に、私もまた衝撃を受けて固まっていた。

「ロイズハルトが……禁術使い……?」

禁術はもはや伝説の中の伝説。
知る人ぞ知る、忘れ去られた過去の遺物。
その術をヴァンパイアの中では唯一ロイズハルトのみが扱えるだなんて……にわかに信じられなかった。

「禁術使いと言っても、ロイズ様が得意とするのは闇の力を利用しての蘇生術ですわ。死霊術ではございません」

言葉を失くして狼狽する私に、リーディアはあくまでもロイズハルトはアンデッドとは無関係であると強調してみせる。
それでも私は彼女の声などほとんど聞こえてはいなかった。
ただやたらとうねる心臓が煩い。
疑いたくないのに、思考回路が勝手にロイズハルトを疑ってしまう。
だってタイミングが良すぎではないか。
あの呼び出しの手紙といい、アンデッドといい……。
ロイズハルト以外の誰が出来ると言うのだ。

どうしてだろう。
どうして……。
どうして私はこんなに苦しんでいるの?
ロイズハルトを想って……。

「エルフェリス様。私は……これでもロイズ様を疑う気はさらさらありませんわ。確かに禁術を操るヴァンプはロイズ様ただお一人。けれど……どこかに術を知る者が他にいてもおかしくはありません。それに……これはあくまでも噂ですが……一部のハーフヴァンパイア達の間では今も禁術が……それも死霊術が伝承されていると言います。一概にロイズ様のみを怪しむのはまだ早くてよ」
「ハーフ……」

久しぶりに聞くその名称に、私はむうと唸った。
人間とヴァンパイアの間に生まれるというハーフヴァンパイアは、両者の特徴を併せ持っていながら、両者から疎まれ嫌われている。
人間として生きていくには吸血行動が、ヴァンパイアとして生きていくには中途半端な能力が、それぞれに彼らの邪魔をするのだ。
加えて第三の種族として確立していくにはあまりにも数が少なく、彼らはどんな時代にあっても居場所をことごとく奪われる。
そんなハーフヴァンパイアが集う集落が世界の何処かにいくつかあるらしいが……その場所や彼らの生態はほとんど知られていない。

「じゃあ……ハーフヴァンパイアが関わっている可能性も無きにしも非ずってこと?」
「それはまだ……何とも言えませんが……」

困惑した表情でリーディアは目線を下げた。
本当はリーディアだって不安と必死で戦っているはずだ。
わかるよ、その気持ちは。
私にだってわかる。
でもこの状況で……この状態で……一体どうやって信じたらいいの?
一体どうやって安心したらいいの?
私には……わからないよ……。
重苦しい空に……飲み込まれてしまいそう。

それでも私達は滝に向かって足を進めた。
そこにロイズハルトの姿が無い事を祈って。
ロイズハルトの痕跡が残っていない事を願って……。

「あそこですわ」

しばらく進んだ後、より一層の闇を纏った一帯でリーディアは足を止めると、奥の方を指差してそう言った。
そこからは微かに水の流れ落ちる音が響いてくる。

「泉から一番近くて一番怪しい所。心して行きましょう」

リーディアはそう言うと、私の前に先立って慎重に足を踏み出した。
私はその後姿を見失わない様に彼女の後ろにぴったりとくっついて森の中を進む。
滝壺を叩き付ける水の音が次第に大きくなって耳の奥を刺激した。

「……静か過ぎるのが逆に気になりますわね……。あれほどいたアンデッド達も全く姿を見せないし……」
「また罠かなぁ」

注意深く周囲を見回すリーディアに対し、私は思わずそう呟いていた。
するとリーディアも前方に目をやったまま、くすくすと苦笑する。

「そうかもしれませんわね。私達今日は相手の手の内に嵌りっ放し。それでも……行かねば気が済みませんでしょう?」

深い闇の中私の方を振り返って微笑むリーディアに、私は力強くもちろんだ、と頷いた。

「ここまで来たんだ……もう逃げられないよ。絶対に向こうの思うツボになんかさせない!」
「くす。私も同意見ですわ。ここまでコケにされた恨みは深くてよ?」

冗談なのか本気なのか分からないが、クスクスと笑いながらそう言うリーディアに、私も半ば同じ事を考えていただけに思わず苦い笑みが漏れた。
その時ふと、視線の先に人影が映った気がした。

「あれ……?」

何かの見間違いかと思って何度か目を瞬かせてみたが、その影は消える事なくむしろこちらをじっと見つめている様な気がしてならなかった。
吹き抜ける風が急に冷たく感じるのは何故だろう。
こんなに離れているのに、これほどの戦慄を覚えるのは何故だろう。

「リーディア……あれって……」

今、この目に映る物が幻ならばいいのに。
そう思わずにはいられなかった。
それほどまでに禍々しくて、目を背けたくなるほどの光景。
近寄れば近寄るほどに“それ”は……この世の物とは思えない様相を醸し出す。
無意識に何度も唾を飲み込んでいた。
そうして少しでも心を落ち着かせなければ、こちらの精神が狂ってしまいそうだ。

「……土と……水。微量の血液と……核となる骨……。なるほど。アンデッドとするのにこれほどまでの格好の生贄はいませんわね」

それの前で立ち止まり、驚愕の目で見上げる私の隣でリーディアもまた声を上擦らせながら、ごくりと唾を飲み込んでいた。
滝壺のほとりに佇む木に縛り付けられた“それ”は、虚ろに目を見開き赤い唇を薄く開いてこちらを見つめてはいたが、その瞳からはもう生きている者のきらめきが感じられなかった。
滝から生じる小さな風にも揺れる豪華なドレスの隙間からは、もはや肉の塊と化した体が見るも無残な形で顔を覗かせている。
ところどころ骨は露出し、まるでゾンビのようなその身体は人間のそれとは言い難いほどに崩れ落ちている。
それでもまだ鼓動している様だ、というリーディアの言葉に、私はさらなる戦慄を覚えた。

「紛れも無く……ロイズ様のドール、アルーンですわ……」
「ロイズの!? どうして……」

震える。
震える。
体が震える。

「死霊術の呪いが……魂の離れた身体を無理やり生かしているのですわ。ドールは全ての血を抜かれてもなお生き続けられる身体……。ですが身体も死ねば血液の供給ができなくなります。全ての骨を失い尽くすまで……このアルーンは本当のアンデッドとして生き続ける事になるのでしょう」
「そんな事……そんな事許されないよッ!!」

私は思わず周囲の事も考えずに、ただ感情の赴くままに叫んでいた。
だって……こんな事は到底許される事ではない。
死した者の身体をこんな風に弄ぶだなんて。

「許せないよ……」

涙が溢れた。
どうしてこんな事が出来るのかと思うと、悔しくて苦しい。
誰なの、本当に……。
私達を呼び出して殺そうとしているのは……誰なの?

「……え……様……」

その時ふと、流れ落ちる水の音に混じって誰かの囁く声が聞こえた気がして、私はハッと顔を上げた。
リーディアも訝しげに眉をひそめ、辺りを注意深く見回している。

「……エ……る様……」

まただ!
誰かが私を呼んでいる?

「リーディア! 今……声したよね?」

恐る恐るリーディアにそう問い掛けると、彼女は一切の動きを止めたまま静かに頷いた。

「聞こえましたわ。でも声が小さすぎて……」

その声の出所を見極めようと、リーディアは再び周囲に視線をめぐらせる。
けれど見渡す限り、他に誰かがいるような気配は感じない。

「!? 一体どこから……?」

慎重に慎重に、夜目の利くリーディアはひたすら目を凝らした。
しかしやはり声の主を見つけ出す事が出来ず、私達は互いに顔を見合わせた。

「空耳?」
「二人同時に空耳とは思えません。あれは確かに誰かの声でしたわ」
「そうだよね……確かに私の名前を呼ばれた気がしたし……」

不思議に思って溜め息を吐く。
その間にもやはり私を呼ぶ声はどこからともなく上げられた。

「これも相手の張った罠でしょうか」

ハッとして声を張り上げるリーディアに、私はまさか、と首を振った。
その瞬間。

「リーディ……ア様、いらっしゃる……の?」

幾分大きくなったその声に私とリーディアは顔を見合わせて、アルーンが縛り付けられている木の裏側に回り込んだ。
そしてそこにいた者の姿を認めて、リーディアがその名を絶叫する。

「ッ!! イクティッ!!」

アルーンと同じロープでその身を拘束され、アルーンと同じ様に肉や骨の剥き出しになった身体で、イクティは私とリーディアの名を弱々しく呼び続けた。

「エル……様。……リーディさ……ま」
「イクティッ!! 誰がこんな事……」

以前の姿を全くと言って良いほど留めていないイクティであったが、リーディアは構わず駆け寄ると躊躇いもなく彼女の体に触れた。
赤く染まった瞳から次から次へと涙が零れ落ちていく。

「黒……おとこ……」
「黒い……男?」

その言葉に私とリーディアは首を傾げる。

「ロイズじゃないって事?」

私は僅かばかりの期待を込めて無意識にそう呟いていた。
その小さな囁きにもイクティは絶え絶えの息で返答してくれた。

「ちが……ロイズ様じゃな……い。……カルディ……とおとこ……く……ろ」

確信した。
その言葉に私もリーディアも。
ロイズハルトじゃない。
その事実が私の中の不安を一気に拭い取る。
だがロイズハルトじゃなければ、その黒い男とやらが死霊術の使い手なのだろうか。
リーディアもその事を何とか聞き出そうと必死にイクティに話し掛けている。

「黒い男って誰なの? 顔は見たの?!」
「……み……な」
「カルディナは? あの女は何をしたの!?」
「……」
「答えてイクティッ!!」

もはや色を失いかけているイクティの瞳から大粒の涙が溢れ出し、崩れ落ちた頬を伝ってリーディアの腕に零れていく。
それを見たリーディアは未だかつて見せた事もないほどの悲痛な表情で唇を噛み締めた。

「イクティ……どうしてこんな事に……」

カタカタと小さく震えるリーディアの肩。
けれどその肩越しから見えるイクティの顔からは、何故か笑みが浮かんでいた。

「リーディ……さま……。見つけ……くれて……ありがと……。でも逃げ…………ワ……ナ」

そこまで言うと、イクティは急に力を失ってガックリと項垂れた。
……魂の死を……迎えたのだ。

「……イクティ? 罠って?」

リーディアはなおも彼女の身体を揺さぶり続ける。
しかしイクティの言った言葉の意味をすぐに受け止めて、立ち尽くす私の手を取るとすぐにこの場を離れようと踵を返そうとした。
その時だった。

「――ッ!!」

一斉に地中からアンデッドの大群が這い出してきたのだ。

「ひッ!!」

先ほどまで対峙していた男達の数とは比べ物にならないほどのアンデッドが、私達の周りを幾重にも取り囲んでいく。

「……はは。これはさすがにヤバイかも?」

リーディアと背中合わせになりながら後退するも、すぐに逃げる隙間も無いほど完全に包囲されてしまった。
後退ろうと身を退けば、打ち寄せる水と底の泥濘(ぬかるみ)に足をとられそうになる。

「どうする? ヤバイよね……これ」

こんな状況にも関わらず、なぜか顔が勝手に笑う。

「ヤバイですわね。これでは隙を突こうにもその隙すらありません……万事休すですわ」

かく言うリーディアも私につられて笑っていた。
案外人はピンチに陥ると、何とかそれを打破しようとして笑みを浮かべてしまうものなのかもしれないと思った。
が、この期に及んでまでくだらない事を考えてしまう自分に心底呆れる。

「厄日だ……くそッ!」

口から漏れる言葉は姿なき者への恨み言。
何とかこの場を凌がなければその恨み言も直接伝えられないが。
焦る頭をフル回転させて、それでも何とか切り抜ける為の方法を考えなければならない。

何か……何か……!

夜風を含んで冷たさを増した水が足元の感覚を奪っていく。
けれど今はそんな事微塵も感じる余裕すらなかった。

何か……何か……ッ!

浮かんでは消えていく案にいちいち首を振りながら、最善の策を思案する。
じりじりと迫り寄るアンデッド達を睨み付けて。

……ダメだ。
やはり打開策など思いつかない。
白魔法で一掃する手も無くはないが、今の私にはこいつらを葬り去るだけの力があるかどうかすら疑わしい上に、隣にいるリーディアも巻き添えにしかねない。
まさに八方塞がりだ。
自分一人だけ助かったって意味は無いし、リーディアの命も絶対に失わせたくはない。
カルディナや姿の見えない禁術使いの思い通りにもさせたくない。
だから何としてもこの場を切り抜ける為の方法を思いつかなければならないのだ。

何とか……何とか……!!
そう思って硬く目を閉じた瞬間。
アンデッドの群れの中を一筋の閃光が走り抜けた。

「え……?」

その光景はあまりにも一瞬すぎて、私もリーディアも自分の置かれている状況も忘れてただただ驚きの眼差しを向けるよりほかになかった。

「……うそ……」

アンデッドの残骸が季節外れの雪の様にふわりと舞い上がっては、乱れた足元に降り積もっていく。

――その中を現れたのは。

震える私の声と歓喜に沸くリーディアの声が一人の男の名を呼ぶ。

「ロイズ……」
「ロイズ様ッ!!」

その声に背を向けていたロイズハルトがゆっくりと振り返った。
そして心底楽しそうにニヤリと笑う。

「お前ら随分と楽しいゲームやってんな。俺も混ぜろ」
「混ぜろって……どうしてここに……?!」

突然現れたロイズハルトを私はまるで幻でも見ているかの様に見つめていた。
けれど私のその問い掛けにロイズハルトはふっと微笑むだけで答えてはくれなかった。
そしてそのまま再び背を向けると、おもむろにアンデッドの中に突っ込んで行こうとする。
しかしそこでまた、視界に別の人物の姿が映った。
風になびくロングジャケットに獅子の様な髪。

「なーんだ。先越されたか」

大剣を軽々と肩に担いで仁王立ちするあの姿を見間違えるはずがない。

「デューンッ!?」
「お前なぁ……何時だと思ってんだ? 人間は寝ろ! こんなとこで遊んでないで」
「べ……別に遊んでるわけじゃ……」
「ハイハイ、言い訳は後でゆっくり聞いてやるから、お前達はそこで大人しくしてなさい」
「え?」

そう言うや否や、デューンはその手に握り締めた大剣をまるで羽でも弄ぶかの様に振り回し、無数に群がるアンデッド達を次から次へと土に還し始めた。
その顔に笑みを浮かべながら。
一方のロイズハルトもそれを見て、負けじとアンデッドの中心に入り込み、こちらは魔術の様なものを用いて葬り去っていく。
だが迎え撃つアンデッド達もみすみす倒されるのを黙って待っている訳ではなく、私とリーディアも必然的に戦わねばならない状況になり、一帯は本当の修羅場と化した。
すでに限界まで磨り減った体力で複数のアンデッドを同時に相手しなければならない戦況に、私もリーディアもひたすら精神を集中させた。
もはや気力だけが身体を動かしているようなものだった。
全ては生きる為に。
しかし冷たい水に曝されていた足が、貧血のせいで回り続けるこの目が、私を一層苦しめる。
それに気のせいだろうか?
先ほど泉で襲ってきたアンデッドよりも、手強くなっている気がするのだ。
それとも私が弱っている……?
ふとそんな事を思った瞬間、身体の中に何かが食い込む感触があった。

「……あ……」

――なにコレ……熱い……。

「エルッ!!」
「エルフェリス様ッ!!」

ロイズハルトが。
デューンが。
リーディアが。
私の名前を呼んでいる……。

でも変なの。
あんまりよく聞こえないんだ。

おかしい……おかしい……。
瞳はこんなにも鮮明に世界を映しているのに、意識が……身体が……“私の意思”から離れていく。

その時ふと映ったのは、真っ青に顔を歪ませたロイズハルト。

……変なの……。
前にもそんな顔、見た事あるような気がする。
……どうして?

そんな顔しないで、ロイズ……。

そう思いながら感じたのは、頬に打ち寄せる冷たい水の感触。
土の匂い。
そこでぷっつりと、意識は途絶えた。





next→

残-ZAN- top へ