残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



6.死刑執行(1)




道なき道をリーディアに手を引かれながら一歩一歩確かめるように進んだ。
月も姿を隠す今夜は異様なほどに静かで、そして何より闇深い。
先ほどに比べればだいぶ目も慣れてきたがそれでもやはり不自由さは拭いきれず、時おり地面から這い出す木の根に突っ掛かってはリーディアを心配させてしまった。

しかしそれもほんの僅かな事。
気が付けば目の前にゆらゆらと黒く揺らめく小さな泉が姿を現していた。
しかしそこには誰の姿もない。

「?」

私もリーディアもその様子を訝しげに思い、ぐるりと周囲を見回した。
リーディアにいたっては、懐から取り出した懐中時計に目を落としている。

「今何時?」

それを見て、私は何気なくそう尋ねていた。

「約束の時間は少し回ってしまいましたわね」

対するリーディアは静かに時を刻む懐中時計から顔を上げてそう言った。
少し、と言うのがどれくらいなのかは分からないが、痺れを切らして帰ってしまうような時間ではないはずだ。

「……なのに誰もいないなんて……ただの悪戯? てか冷やかし?」
「う……ん。でもこんなところにわざわざ私達二人を名指しで呼び出しておいて単なる冷やかしだとは……」
「だよねぇ」

――変なの。

再び周りを見回して、私は一人呟く。
悪戯でないとしたら、向こうがひどく遅れているのだろうか。
それともまさか、これは本当にロイズハルトが……?
彼は今どこかへ出掛けている。
その始末を付け次第戻るらしいが、その日時などは不明だ。
戻って来れないのだとしたら、この場に誰もいない事の説明は付く。
だが……。
私の手に握り締められたワンドが先ほどから僅かに熱いのだ。
見た目はさほど変わらない。
けれど確実に万が一に備えて、少しずつエネルギーを蓄え始めているのは間違いない。
白魔法使いだけが持てる銀製の聖なる杖。
先端に拳大のクリスタルが嵌め込まれ、ワンドは時によってその長さを変える。
危険を察知すれば自動的に所有者のエネルギー貯蓄を行い、例えば私が動けなくなろうとも、貯め込んだエネルギーを取り込む事である程度までの再生も可能となるのだ。
そのワンドが今、その中に私のエネルギーを蓄え始めている。
つまりは、決して油断ならぬ状況であるという事だ。

「リーディア。注意した方がいいみたい。……絶対何かあるよ」

ギリッとワンドを握り直し、私は鋭く辺りを見回した。
リーディアも私から少し離れたところで慎重に辺りの様子を観察している。
不自然なほどしんと静まり返る中、聞こえるのは私とリーディアが立てる物音のみ。
だが微かに、明らかな異音が静寂を切り裂いた。

「リーディアッ!!」

私は慌ててリーディアを振り返り、高らかに声を上げる。
それに気付いたリーディアが咄嗟に私の元へと駆け寄ろうとした。
しかしすぐにその足が止まる。
瞬き一つ。
私とリーディアのほんの僅かな間を、突然姿を現した一人の男が立ち塞いでいた。

「……な……ッ!?」

見た事などない男だ。
だがやはり片目は赤く染まっている――ハイブリッドのようだ。
腕組みをして、その顔には余裕からなのか笑みすら浮かんでいる。

「あなた……確かヘヴンリーの……」

眉をひそめて、いつもよりも険しい表情でリーディアがそう呟くのが聞こえた。
ヘヴンリー?
どういうことだろう。
心臓が、ドクドクと煩く騒ぐ。

「あなたが私達を呼び出したの!?」
「いかにも」

ニヤリと顔を歪めて、男が笑う。
何故か私の方を向いて。
ぞくっと背筋が寒くなるような嫌な笑顔。
けれど私はその顔を一瞬しか見ることが出来なかった。

「エルフェリス様ッ!!」

空気を切り裂くようなリーディアの絶叫も何故かよく聞こえない。
気が付くと私の身体は、泉の中に埋もれていた。
たった今の今まで私はこの足で大地に立っていたのに。
それも泉からは距離を置いて。
それなのに、次の瞬間には水の中に沈んでいた。
どうしてなのか理解出来なかったが、その間にも身体が欠如した酸素を欲し始める。
息が苦しくなって、ともかく水面を目指して必死にもがいた。
しっかりと水気を含んだ衣服が私の邪魔をする。

「ぷはッ!」

ようやくの思いで水上に顔を出すと、目の前に無数の男達がずらっと泉を取り囲んでいた。

「なに……っ!」

いつの間に!?

だが、驚愕はそれだけでは終わらない。
震える私にさらに追い討ちをかけるかのように、その集団の隙間から傷だらけで崩れ落ちるリーディアの姿が目に入った。

どうして。
どうして?!
どうして!!
あの一瞬に……何が起こったの!?

慌てて陸上に這い上がろうと地面に手を掛けた瞬間、先ほどの男が私の手を容赦なく踏み付ける。

「何すんのよッ!!」

痛みを堪えつつも、声を張り上げて男を睨んだ。
すると男はニヤリと笑って、後ろに控える男達に何やら首だけで合図を送る。
それに合わせて数人の男達が私の見えない位置から、何かを泉の中へと投げ込んだ。
激しい水飛沫を上げて、水面が揺れる。

――絶句した。

「リーディアッ!!」

泥傷まみれになったリーディアが泉の中に投げ込まれたのだ。
ひどく負傷しているのだろうか。
沈みゆく体が抵抗しようとしない。

「リーディア!」

すぐにでも彼女の元へ行こうと身体が動いたが、手を踏み付ける男の足がそれを阻むかのように力を加えてくる。
粉々に砕けてしまいそうなほどの激痛に思わず顔をしかめた。
だが、そんな事を言っている場合ではない。
幸い水面に沈めたままのもう片方の手には、しっかりとワンドが握られたままだった。
視線だけを動かしてそれを確認すると、私はワンドを勢いよく男の方目掛けて振り上げる。
大量の水が男の身体に降り注ぎ、一瞬力が弱まった。
その隙を見計らって男の足を全力で振り払うと、一目散にリーディアの元へと向かう。
彼女を飲み込んだ水面が僅かに赤く染まっていた。

躊躇う間などなかった。
とにかく吸い込めるだけの空気を吸い込んで、勢いよく暗い水中に潜る。
泉の透明度が高いのが唯一の救いだった。
すぐにリーディアの白い腕が目に入ったのだ。
私に助けを求めるように伸びる彼女の腕に向かって、冷たい水の中肢体に一層の力を込める。
潜れば潜るほど身体が重くなっていったが、何とかリーディアの腕を掴んだ。
するとそれにより覚醒したリーディアの口から大量の気泡が溢れて水の中にとけていった。

私は急いで彼女の体を抱え込んで渾身の力で水を蹴り、水面を目指す。
上へ上へともがく中、何かが足に絡み付く感覚に襲われたが、構わず一気に上昇すると、男達が居ない側の岸に二人で這い上がった。
空気に触れた途端、リーディアは激しく咳き込んで何度も水を吐き出した。
その様子を対岸の男達はニヤニヤ笑いながら眺めている。

「何のつもりよ、アンタ達……」

精一杯の侮蔑を込めた目を男達に向けた。
髪や衣服がべったりと体に張り付いて不快だったが、体力の大部分を水中で消費してしまった私にはそれを払い除ける力すら惜しい。
出来るだけ温存しておきたかった。
私とリーディアに迫る男達が、あの薄気味悪い笑みを失うまでは……。

「二人とも殺して良いと言われてるんでね」

男の中の一人がそう言って、白い牙を覗かせる。

「誰の差し金ですの……」

そんな中、ようやく息を整えたリーディアがゆらりと立ち上がり、私を庇う様に一歩前へ進み出た。
するとその背中に走った大きな太刀傷が目に入り、私は言葉を失う。
白い肌に浮かぶ赤い傷からは少しだけ血が滲み出ていた。
が、それほど深いものではなさそうだ。
ほっと胸を撫で下ろし、私もリーディアと肩を並べようと立ち上がる。
だが、ふいにくらりと眩暈に襲われて私はその場でよろめいてしまった。

「エルフェリス様!?」

それに気付いたリーディアがふらつく私の身体を支える。
同時に彼女は私の体を見回して、ある異変に気付いたのだ。

「――ッ!! 失礼、エルフェリス様!」

さっと顔色を変えたリーディアが私の足元に屈み込む。
それに合わせて私も不思議に思いながら視線を足元へやった。

――なんだ?

足首に赤い葉の様な物が巻き付いていた。

「?」

何だか分からずにキョトンとしていると、青ざめたリーディアが真剣な顔付きで私を見上げてくる。

「少し痛みますわよ」

痛む?
なおさら意味が分からない。
だがそんな私に構わずリーディアは足首にへばり付く赤い物体に手を伸ばすと、それを力いっぱい引いた。

「いたッ!!」

途端にきつく爪を立てられたような痛みが足に走る。
あまりの痛みに再び足元に目をやると、その物体がいつの間にか私の足にしっかりと根を張っている様子が見て取れた。
異様な光景に私は思わず息を呑む。

「な……なんなのコレ……」

情けなくも恐怖で身体が震えた。
そして待っていましたとばかりに対岸から声が掛けられる。

「吸血水中花だよ、エルフェリスさん」

男の中の一人が、楽しそうに声を張り上げた。

「吸血……水中花?」

震える声を抑えながら聞き返すと、男はニヤニヤしながらこう言う。

「ロイズ様のご命令で数日前に泉に放しといたのさ。それならば誰の手を汚すことなくお前たちを葬り去れるとな!」
「まさか……!」

男の言葉に、リーディアも顔面蒼白のまま否定の意を唱える。
まさかロイズハルトがその様な命を下すわけが無いと何度も呟いて……。
その間にも足首に纏わり付く吸血花が、私とリーディアの疑念をも吸い取るように大きさを増していく。
ひどい眩暈がして、私はぐらりとその場に崩れ落ちた。
立っている事すらままならない。
それを見た男達がゆっくりじりじりと私達に詰め寄り始める。
何とか顔だけを上げて、私は精一杯の力を振り絞って男達を睨み付けた。
そんな私達の姿を遠目から嘲笑うのは、先ほどリーディアが「ヘヴンリーの……」とか呟いたあの男。

「まだそんな目出来るとは……なかなか人間もしぶとい生き物だな。……すっかり忘れていたよ、人間の時の事なんか」

その笑みが、私の働かない脳内に生理的嫌悪をもたらす。
こんな輩の前に這いつくばっている自分が情けなくて悔しくてたまらなかった。
出来る事ならばすぐにでも立ち上がって、その顔に白魔法の一つでもかましてやりたい。
こんな状態にあってもそんな衝動に駆られた。
しかし無常にも、そんな思いとは裏腹に身体はちっとも言う事を聞いてくれない。
だから男達は調子に乗って、口を滑らせたのだ。
“生(せい)”に見捨てられかけた私達を再び立ち上がらせてしまうような一言を。

「しかし俺たちも見くびられたモンですよね、まさかドールなどから指図される事になろうとは」

この場の緊張感とは反対の軽さを含んだその声に、リーダーらしきあの男は大きく欠伸をしながら面倒そうに同意する。
その言葉に、私とリーディアは瞬時に顔を見合わせた。

ドールだと?
今、ドールだと言わなかったか?
何故この状況に突然、ドールなどと言う言葉が出て来るのだ。
……。
ダメだ。
考えがうまく纏まらない。

だがそんな私達の様子を気に留める様もなく、あの男はフンと鼻を鳴らした。

「ふん、ヘヴンリー様があの城に出入りしている以上、俺達はただの使いっぱしりに過ぎないさ。まぁ、ロイズ様直々の命令だと言うのなら……仕方あるまい」

そう言って自嘲的な笑みを漏らした。
ヘヴンリーを尊んでいるところを見ると、この男達はヘヴンリーの配下なのだろうか。
ぐらりぐらりと回る頭が、そんな事をふと考えてしまう。
だが隙だらけの私達はあっという間に周囲を男達に取り囲まれてしまい、もはや逃げ場を失った。

失血のせいで震える体。
ぼやける焦点。
それでもリーディアと共に精一杯の闘志を燃やす。
こんな身体でも。

その時ずっと男達を睨み付けていたリーディアがふいに私を顧みた。
そしてじっと私の目を見つめた後、たった一言「申し訳ございません」と呟いて、私の足首から真っ赤に膨れ上がった吸血花を無造作に引き剥がした。

「――ッ!!」

一瞬だった。
一瞬だったが、そのあまりの激痛は私の声を奪う。
きつく目を閉じて、声にならない悲鳴を上げた。
同時に異物の離れた足からは少しずつ赤い血が流れ出す。
鼻をつく鉄の臭いが辺りに充満して、私は思わず顔をしかめた。
そして血に飢えた男達は、私の身体から流れ出る血を見た途端にごくりと喉を鳴らした。

「リーディア……逃げて……」

結構な量の血液を吸血花に持っていかれたらしい。
生きているのが不思議なくらい。
くらくらする頭も、力の入らない身体も、もはやコントロール出来なくなっていた。
力なく投げ出された手の中にある白いワンドが視界の端にぼんやりと映っていたが、回復の魔法を使おうにもこの状態では無理そうだ。
せっかくワンドがエネルギーを貯めていてくれていると言うのに、それすら取り込む力も無いとは……なんとも情けない話だ。
ならばせめてまだ動けるリーディアだけでも助かって欲しいと、私は何度も彼女に逃げるよう促す。
けれども何故かリーディアは不敵な笑みを浮かべたまま、私の願いを否定するのみだった。
それどころか私の耳元で何かをそっと囁く。

「あなたの血を……この様な形で使う事を……お許し下さい」

確かにそう……聞こえた。

すると突然リーディアは立ち上がり、リーダーの男と真っ向から対峙した。
その背中から零れた血混じりの水滴が、ぬかるんだ土に溶けていく。
そんな身体で一体どうするのだろうと声を掛けようとした瞬間、リーディアは相手の男に向けて言葉を発した。

「愚か者。ドールなどの口車に乗せられるなんて、使い走りとしても二流ですわね」
そして何を思ったか、ボロボロに傷付いもなお相手を挑発する。
「あなたごとき男に、ロイズ様が命令を下すなど有り得ませんわ。そのドールに良い様に使われているんじゃなくて?」

そう言ってニヤリと笑ったリーディアはひどく妖しく、ひどく美しくて、私は背筋に冷やりとしたものを感じた。

「あなた達が心酔するヘヴンリーがこの事を知ったらどう思うかしら? いい笑い者ね」

決して言葉を乱さず、心を乱さないリーディアの物言いに、男達は一様にカッと顔を歪ませる。
そして決定的な一言を吐き捨てた。

「うるさいっ!! カルディナが持って来た書状は確かにロイズハルトの直筆だった! エルフェリスとリーディアを殺せと……ッ!!」
「……やはりカルディナか」

男の口から出た名に、リーディアは鋭く目を細め、反対に私は見開いた。
カルディナ。
あの女が……関わっている……。
ロイズハルトのドールであるカルディナが関わっている。
どうしてだろう。
心が激しく動揺した。

その後ろにいる者は?
その後ろにいる者は……。
ロイズハルト。
あなたは……関わっているの?
それとも……知らないの?
私とリーディアを殺そうとしているの?
誰が……?

人知れず、私の心は男の言葉にすっかりと掻き乱されていた。
しかしそれでもリーディアの挑発は止まらない。

「あの女ならばロイズ様の名を騙り、ロイズ様の筆跡を真似る事は容易なはず。……見事に騙されたようですわね」

最後のダメ押しとばかりにリーディアが哂う。
残酷なほど美しく。
すると男達はそれぞれ顔を真っ赤に紅潮させ、リーダーの男は拳をわなわなと震わせ始めた。
その様子を見ていたリーディアの赤い瞳に光が灯る。

「もうどちらでもいい!! リーディア……特に貴様は“我々”からしても目障り……お前が死ねばヘヴンリー様も喜ぶ!」

そう叫んで、両目を真っ赤に充血させた男は突如リーディアの胸倉を掴み上げると、笑みを湛える彼女の顔目掛けて鋭く研がれたナイフを振りかざした。
けれどリーディアは取り乱す様子もなくその刃先と男を交互に見やると、静かな声色でこう言った。

「そう、それは残念ですわ。……ならば私も……今ここで何をしようとも正当防衛が認められますわね」

――この時に、男達は気付くべきだったのだ。

リーディアが口にした言葉の真意を。
しかしそれはやはり後の祭り。
死刑執行の合図。

「死ねリーディアッ!!」
「リーディアッ!!」

男の声と、私の叫びが重なった。
その瞬間、リーディアは冷めた瞳のまま、とある物体を男達の前に高々と掲げた。
真っ赤に膨れ上がって今にも破裂しそうな、あの……吸血花だ。
振り下ろしたナイフを寸前のところで交わされ体勢を崩した男の体を突き返し、リーディアは死神の笑みを湛える。

「最高の血を……差し上げますわ」

そして手にした吸血花を、躊躇いも無く男の口に押し込んだ。

「!?」

リーディアの行動が理解出来ないのか男は初め、訝しげに顔をひそめていた。
だがすぐにぱんぱんに膨張した花びらを鋭い牙が掠め、男の口から大量の血が溢れ出す。
私から吸い取った赤い血が。
リーディアはその時を見計らってサッと身を交わし、地べたに座り込む私を抱えると、素早くその場から距離を取った。

「リーディア?」

このまま退避するのだろうかと彼女の顔を見上げると、リーディアは未だ厳しい表情で男達の動向を見守っている。
一体何をしたのだろう。
男の口から勢いよく溢れた血はその中だけでは留まらず、周囲の男達の体が血塗れるほどに飛び散っていった。
身体を赤く染め、歓喜の声を上げる男達。
血を舐め取る為だけに、赤い舌が生々しく動く。
その瞬間、リーディアの唇が三日月の様に吊り上げられた。
そして私は……己の目を疑った。

――燃えている。

私の血を含んだ男達がみな、突如オレンジ色の炎を上げて発火したのだ。

「この女……白魔法使いだッ!!」
「その血に触るな!!」

難を逃れた男達が口々にそう叫ぶ中、炎に包まれたハイブリッド達が次々と灰と化し、崩れ落ちる。

「まさか……私の血で……?」

自分で呟いた言葉がどこか別のところから発せられたように聞こえた。
震える声を抑えきれない。
白魔法使いの血はシード以外のヴァンパイアを焼き尽くす。
空に君臨する太陽と同じ様に、裁きの炎となって。
古来からそんな言い伝えがあった事はもちろん知っていたが、元来白魔法使いという者自体数少ない上、その様な話が本当なのか確かめる機会すらほとんど無かった。
またヴァンパイア側も単なる噂で済ませてはいても実際に、自らの命の危険も顧みず白魔法使いを吸血対象とする者など存在しなかった。
だから男達の動揺は殊の外大きかったのだろう。
まるで私を化け物の様な目で見てくる。
どちらが化け物か知りもしないで……。
だが……この身に流れる血がその化け物を滅ぼすのなら、私もまた化け物なのかもしれない。

それに思い出した。
私は過去に一度だけ、今と同じ光景を目にした事がある。
私がまだ聖職者としての修行を積んでいた頃、エリーゼもまだ村に居たあの頃。
一時期、夜な夜な私達の村を荒らしていたハイブリッドの集団がその裁きにかけられた事があったのだ。
その時ばかりは穏健派として知られる神父もさすがに我慢の限界を超えたらしく、激しい攻防の末捕らえられたハイブリッド達はみな、様々な刑に科せられた挙句死んでいった。
心臓を杭で打たれた者、太陽の元に曝された者、そして……白魔法使いである神父の血を飲まされた者。

「古来の伝えを……この場で実証しましょう。何も起こらなければあなたは生かします」

自らの腕をナイフで切り裂いて、神父はそう言って笑っていた。
……天使の様な顔をして。

けれどその後の結果は今私の目の前で起こっている光景とまるで同じだ。
あの時のハイブリッドもオレンジの炎と共に灰と化した。

「なるほど。やはり言い伝えという物は根拠があってこその物のようだね」

崩れ落ちた物言わぬ灰の山に対して冷ややかにそう言った神父の顔は忘れられない。
あの男性(ひと)はいつも人間とヴァンパイアの共存を願って、それなりに努力し行動していた。
けれども、だからこそ、それを妨害する輩には人一倍厳しい態度も見せた。
「ようやく落ち着き始めた均衡を崩す者には見せしめも必要なのだよ」と言いながら。
しかしあの時は、その“見せしめ”となって死んだハイブリッドの末路を見た者は、私達村の住人だけだった。
同族のヴァンパイアは誰一人として見てはいない。

けれど今は違う。
何人ものハイブリッド達が、先ほどまで行動を共にしていた者の残骸を恐怖と戸惑いの入り混じった目で見つめていた。
そして私も……。
いざとなればこの体に流れる血を武器にでも盾にでもすれば良いと思い、この城に乗り込んできた。
気を付けるべきは血の裁きの効かぬシードのみと。
そう思っていた。
ずっとそう思っていた。
しかし今、私は思い知った。
なんて安易でなんて浅はかだったのだろうと……。
私の血がハイブリッドを殺す。
それは一歩間違えば、何の関係も無いハイブリッドも巻き添えにしてしまうかもしれないという可能性を孕んでいるのだ。
私と行動を共にしてくれているリーディアのように。
今更ながらその事実の重大さに、私はひどい衝撃を受けて完全に言葉を失っていた。

「さあ、どうするの?」

一方のリーディアは灰の塊を呆然と眺めて立ち尽くす男達に向かって声を張り上げた。
それによって意識を呼び起こされたかのように、男達の視線が一斉に私達に集中する。
畏怖、怒り、憎しみ。
赤く染まったその瞳に様々な色を湛えて。
だが男達が退く気配は無く、逆に思い思いの武器を手に攻撃態勢に入る。

「そう。あくまでも“命令”には忠実なのですね」

リーディアの低く響くその声に、男達の顔色がサッと変わった。

「命令なんて関係ねぇ! こんな物騒なヤツラ生かしておけねぇんだよ!」

一人の男が腰に下げたファルシオンを抜き放って叫んだ。
それを合図として男達が私達との距離を詰める様ににじり寄って来る。
その動きをじっと見ながらリーディアは私を庇う様に片手を広げ、もう片手にはどこからか取り出した小型のボウガンを装着した。
そしてそれをゆっくりと男達に向かって突き出す。

「不意打ちさえ食らわなければ、私は確実にあなた方を殺しますわよ?」

警告とも取れるリーディアの言葉が、にわかにざわつき始めた男達の間に降り注ぐ。
私までゾクリとするほどの殺気がリーディアの背中から感じられて、思わず彼女を仰ぎ見ると、リーディアはまるで獲物を見つけた獣の様な目で立ちはだかる男達を睨み付けていた。
けれどもそんな彼女の最後の情けも無視して、ファルシオンを振りかざした男が雄叫びを上げながらリーディアに斬りかかる。

「リーディア!!」

私は咄嗟に彼女の名を呼んだ。
彼女が避けようとする素振りを全く見せなかったから。
ファルシオンが不穏な音を立てて更に高く振り上げられる。
リーディアの頭上高く。
後は振り下ろされるのを待つのみ。
その時はリーディアの命が終わりを告げる時となろう。
けれどその男の振りかざしたファルシオンが振り下ろされる事は二度と無かった。
それよりも先にリーディアの左手が男の手を掴み、右手のボウガンから放たれた矢が男の身体を何度も打ち抜いたのだ。
何が起こったのかも解らぬまま呆然と口を開け、男はがっくりと膝を付いて地面に倒れ込む。
瞳だけをリーディアに向けたまま。

「ごめんなさいね? 連射型の魔法ボウガンですの。安らかな死を……」

足元で灰となり化していく男に対して残酷なまでに美しい微笑を湛えたリーディアは、死に逝く男へ餞の言葉を投げ掛けながら、ボウガンに口付けした。
ボロボロと音を立てて、男の身体が大地へと還っていく。

「やっぱりテメェは目障りだぜリーディア」

そう笑いながら。
それでもリーディアは冷たく微笑したまま、「ありがとう。最高の褒め言葉ですわ」と呟いた。
だが果たしてこの言葉が男に届いたかどうかは定かではない。
その男もまた物言わぬ灰の塊と変貌してしまったから。

しかしその間にも男達は次から次へと襲い掛かってきた。
このままではリーディアの負担は増す一方。
私はふらつく頭を何度も振って、それから肢体に力を込めてワンドを杖代わりに立ち上がる。
一瞬目の前が真っ暗になり身体がゆらりと揺れたが、手をかけたワンドのクリスタルからエネルギーを補給する事に成功し、何とか応戦できる状態まで回復出来た。
ずっともやもやしていた頭も気分も、見違えるようにすっきりとし始める。
キッと顔を上げて、私もリーディアと共に戦うべく歩を進めた。

「エルフェリス様! ご無理は……っ!!」

それに気付いたリーディアは制止の声を上げたが、こんな場面で自分はのうのうと守られているだけなんて気が済まない。
どんな状況であろうともやられたモノはやり返す。
それが私の主義だ。

「大丈夫。私もやるよ!」

援護攻撃くらいならさほど体力の消費も気にする事なく行えるし、それにハイブリッドであるリーディアにも危害とならずに連発出来る。
もちろん戦況が激化してしまったら今の私などただのお荷物になってしまうだろうが。

「やれるトコまでやる! 黙って見てなんかいられないよ!」

そんな私の姿をリーディアは驚きの表情で見つめていたが、すぐに私の気持ちを汲み取ってくれるところはさすがだと思う。

「かしこまりました。けれど万が一の時に逃げられるだけの体力は残しておいて下さいませね」
「うん」

さっきまでほとんど死にかけだった私が、彼女の言葉を嬉しく思って笑っている。
だからリーディアは信頼出来るのだと思いながら。
たとえ種族は違えども、ヴァンパイアであったとしても、彼女は私の意志を尊重してくれる。
こんな私の考えを。

「ごめんリーディア。いつもありがと!」
「くす。エルフェリス様は謝りすぎですわ」

目前に男達が迫っているというのに、それでもリーディアは私に微笑みかけてきた。
何という余裕か。
きっとここまで彼女に余裕を与えてしまった男達は、すぐに後悔をする事となるだろう。
その身をもって。
そしてそれは決して先の事ではないはずだ。





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