残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



5.手がかりと甘い罠(1)




「マジいってぇ! まだいてぇッ!!」

氷のうを頭に載せたまま、レイフィールは向かいに腰掛けるデューンに非難の眼差しを向けた。
けれど対するデューンはどこ吹く風。
まるで気にした様子もなく、しれっとかわす。

「全くお前があんなに手ぇ早いなんて思わなかったぜ。油断も隙もありゃしない」

手足をそれぞれ組んだデューンは、そう言うのと同時に盛大な溜め息を吐いた。
その様子を見て、なぜかレイフィールは楽しそうに笑う。

「別にエルはデューンのものじゃないし、いいじゃん少しくらい。僕だってエルには興味あるし?」

少し肩をすぼませたレイフィールはおどける様にそう言った。
するとギラリと光るデューンの視線がレイフィールを捉える。
その口元が嫌味なほどに吊り上げられた。

「ふん……テメェじゃ役不足だ、クソガキ」
「ッ!! ガキって言うなッ!!」

ゆっくりと立ち上がったデューンの背後から、カッと顔を紅潮させたレイフィールが猫のように飛び掛る。
二人はもみ合いとなって、勢いよく床に倒れ込んだ。
ドスンと激しい音が辺りに響き渡る。



「あっ! コラッ!! やめなさい!!」

部屋に入るとすぐ、取っ組み合いをしている二人の姿が目に入った。
レイフィールがデューンの上に馬乗りになって、二人して拳を振り上げている。

「ちょっと……やめろってばっ!!」

男の喧嘩を女の私が制止できるかどうかは分からなかったが、とにかく殴られるのを覚悟で間に割って入った。
その瞬間、勢い付いたデューンの拳が鼻先を掠める。
あまりのスピードに驚いて、そのまま固まってしまった。

「あっぶねぇなエルッ! 大丈夫か?」

上に乗るレイフィールを跳ね除けると、デューンは勢いよく身体を起こして私の顔を覗き込んだ。
そして大きな両手で私の頬を包み込み、どこにも傷が無いかじっくり確認する。

「だ……大丈夫だよ」

あまりにデューンの端正な顔が近すぎて、心臓が何度も大きく鼓動した。
不自然なほど彷徨った視線の先に何が見えていたのかもよく覚えていない。

「良かった……怪我は無いな」

少ししてからデューンは真剣な顔でそう呟いた。
セピアゴールドの瞳を伏せてホッと息を吐くと、そのまま微かに微笑む。
けれどその隣では、床に投げ出される形になったレイフィールがブチブチと悪態をついていた。

「まったく……野蛮なんだよデューンはッ!」

ざまあみろッ!!と叫んで、赤い舌を出してデューンを挑発する。
するとデューンはすくっと立ち上がって、再びレイフィールに掴み掛かろうと手を伸ばした。

「だからやめなって!!」

私も慌てて立ち上がり、レイフィールの胸ぐらを掴み上げるデューンを抑止する。
大きな胸を体全体で押し返して、何とかデューンに思い止まってもらおうと声を張り上げたが、闘将と呼ばれる彼の力に女の私が適うはずがなかった。
僅かにバランスを崩した私は、デューンの体に押されるように吹っ飛んで、少し離れたソファの上に不恰好のまま投げ出された。

「エルッ!!」

やわらかいとは言っても、勢いよく叩きつけられてはそれなりに衝撃もある。
しかもどうやら腹部を少し打ったらしい。
不規則になった呼吸に合わせて、呻き声が勝手に出てくる。

「うう……」
「エル、大丈夫かッ!?」
「エル!」

腹を押さえて丸まる私の上から、デューンとレイフィールが心配そうに覗き込んでいた。
痛みを堪えつつ二人の方をちらりと見やる。
思わずふっと笑ってしまった。

「二人ともスゴイ顔」

私の顔のすぐ上で色白の肌をさらに白くしている顔が二つもあって、気恥ずかしさと面白さから私はまた顔を伏せてククっと笑った。
するとデューンがほうっと息を漏らして床にどっかり座り込む。

「心配くらいさせろ。マジ悪かった」

少し乱れた髪をかき上げてから、デューンは私に向かって頭を下げた。
それを見たレイフィールもその場に屈み込んで「ごめんね、ごめんね」と私の手を握り締める。
その様子を見て私はまた笑ってしまった。
この二人って何か……似てる。

「なに笑ってんの? エル、ホントに大丈夫?」

怪訝な顔でそう言ったレイフィールに私は笑いを堪えてこくりと頷いた。
二人が似ているとはさすがに言えない。
だから奇怪な目で見られようとも私は一人で笑うしかないのだ。

「ごめんごめん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけだよ」

しばらくすると痛みも治まり、呼吸も元通りになった。
むくりと身を起こす際二人はすかさず手を貸してくれたけれど、本当に大した事じゃないし、全ては自分から手を出した結果な訳だし、気を使わせる事になってしまって逆に申し訳なかったと思った。

「レイ、テメェいつまでエルの手握ってんだよ」
「あ」

デューンに指摘されて、私とレイフィールの視線が一様に下降する。
確かに……私の手はしっかりとレイフィールの手の中にあった。
少し冷たくて、けれど意外としっかりとしたレイフィールの大きな手。
私は慌てて手を引こうと思ったが、何故か逆にぐっと握られてしまった。
しかしデューンを無言で一瞥したレイフィールはその後すぐに、その手を緩めて私を解放した。

「やれやれ、レイのせいで進む話も全然進みゃしない」

私とレイフィールの手が離れたのを見届けると、デューンは床の上で大きく胡坐をかいてそう言った。
その言葉に、私もあっと思い出す。

「そうそう、話って何なの?」

私もうっかりしていたが、デューンの話とやらを聞くために庭園から場所を移したんだっけ。
ここはデューンの部屋。
ロイズハルトの部屋と同じく、城内の上層部に位置している。
けれどここは何と言うか……ロイズハルトの部屋とは随分違って、色々な物が色々な形で“自由”を得ている。
つまり……。

「それにしてもきったない部屋だよね、いつ来ても」

レイフィールもほとほと呆れたように見回して溜め息を吐く。
そういう事だ。
それに対してまたデューンはムッとした表情を見せたが、さすがに今回は自制心を働かせたのだろうか。
握り締めた拳と不自然に引き攣った笑顔が彼の心中をよく表していたと思う。

「オレはレイを呼んだ覚えは無いが?」

心ばかりの反撃とばかりに冷ややかな声を飛ばすデューンだったが、無邪気なレイフィールにはたいして通用しなかったようだ。

「あ、気にしなくていいよ。勝手に聞いとくから」

と、少々矛盾した返答と共にケラケラ笑っている。

「ねえねえ僕も居ていいでしょ?」

そしてあの必殺ともいえるキラキラの瞳で私に訴えかけてくるのだ。
私もまだまだ修行が足りないなと思いつつ、レイフィールの懇願にはやっぱり頷いてしまった。
ああダメだ……あの笑顔には勝てない。
するとデューンは少し顔を私達から逸らして、小さく舌打ちをした。

「てかホントにレイに聞かせてもいいのかよ? お前の“捜し者”の事なんだけど?」
「えっ!?」

デューンの言葉に体が勝手に反応した。
思わずソファから立ち上がって、床に座るデューンの前に飛び込むと、デューンは再度真剣な眼差しで私に問いかけた。

「いいのか? エル」
「……」

エリーゼの事はこの城ではまだデューンにしか話していない。
レイフィールが知らないという事は、おそらくデューンはこの事を誰にも話していないのだろう。
ちらりとレイフィールを一瞥する。
レイフィールは訳も分からずキョトンとしていた。

「……うん、いいよ。どうせいつかはレイフィールにも聞こうと思ってた。ちょうどいい」

そう言った私の目をデューンはずっと見つめていたが、何度か頷いた後「分かった」と呟いた。

「ねぇ何なの? 二人して……」

なおも話についていけないレイフィールは、やや苛立った様子で私とデューンの間に割って入った。

「あのね……」

そんなレイフィールに目をやって私はゆっくりと口を開く。

「私ね……」
「おい、デューン入るぞ」

その時、扉の開く音と私の声と、そして室内に入ってきた男の声が重なった。
私達の視線が一斉に部屋の入り口の方に向けられる。
入ってきた男はいきなり注目を浴びた事に対して少々驚いたようだったが、すぐに口元を緩めた。

「なんだ? 揃いに揃って……。俺も混ぜろ」

そう言ってニヤリと笑った男はロイズハルトだった。
いつもより少し雰囲気が違って見えるのは、いつもは割りとキッチリしている服や髪がルーズに乱れているからだろうか。
夜の闇を纏うかのような彼はひどく美しく、ひどく色香に満ちていた。
そんなロイズハルトに目を奪われたまま、金縛りになってしまったようだ。
瞬きさえも忘れて彼の姿をこの瞳に焼き付けようと、思考も体も暴走する。
私はその時、彼に見惚れているただの“女”に過ぎなかった。

「今からロイズの悪口言おうとしてたところ」
「ほう。なら尚更混ぜろ。内容によっては殺してやる」

意地の悪い笑みでそう言うデューンにロイズハルトも負けじと対抗する。
そして彼もまた荒れた床の上に躊躇いも無く腰を下ろした。
私の隣。
腕が触れそうなほどすぐ近くに。
また別の意味で体が硬直する。

「それにしてもお前、今日はまた一段とセクシーだねぇ。……イッてきたの?」
「ふん、バーカ。そんな気にならなかったんだよ」
「へぇ、珍しい。どうしたんだ?」
「人を変態みたいな言い方すんな」
「一緒だろ?」

よくもまあ仮にも聖職者を前にしてそのような会話が出来るものだと呆れてしまうが、そうだった。
デューンいわく、“ヴァンプはみんなエロ”なんだっけ。

「二人ともそれくらいにしときなよ〜。エル赤くなっちゃってる」

レイフィールの指摘に、ロイズハルトとデューンが同時にこちらを注目する。
私は慌てて否定しながら首をぶんぶん振った。

「赤くなんかなってないよ!!」
「いんや、赤いね」
「赤いな。可愛いところあるじゃないかエル」

二人はそう言うと、同じ様な顔をしてニヤリと笑った。
そんな風に言うから赤くなるんじゃないかと苦情を言いたくなったが、それだと自ら認めたようで少し悔しい。
だから私は認めない。

「そんな事よりも早く話してよデューン! 朝になっちゃうじゃない」

ほんの僅かながら明るくなり始めた空が夜明けの近さを知らせていた。

「あ、ヤベ」

それに気付いたデューンがすくっと立ち上がって、窓際の分厚い黒のカーテンを素早く引く。
この居城内のガラスには全て光を通さない特殊加工が施してあるそうなのだが、それでも彼らは必要以上に太陽を恐れていた。
己の身を灰に変えるあの太陽を……。

「太陽綺麗なのになぁ……一度見てみれば?」

わざとらしくそう言ってみると、三人は口を揃えて「殺す気かッ!!」と叫んだ。
普段はヴァンパイアの頂点に立つ者達なのに何か必死な感じが面白くて、私の顔も思わず緩む。
けれどのん気に笑っている場合じゃなかった。

エリーゼの事を……聞かなければ……。

突如顔を引き締めたデューンも同じ様に思っていたのか、再び私の向かいにどっかりと腰を下ろす。
その瞬間に、場の空気がガラリと変わった。

「おい、マジで何の会合だ? これは」

デューンの真面目な顔を目の当たりにして驚いているのか、ロイズハルトも訝しげにそう尋ねる。
けれどデューンはその問い掛けにはすぐには答えなかった。
無言のまま私の方をちらりと見てくる。

ああ、そうか。
ロイズハルトも知らないんだ。
やっぱり誰にも言っていなかったんだ。
大きく息を吸って吐く。
それからデューンを見返すと、私は唇を噛み締めてゆっくりと首を縦に動かした。

「な……なんか緊張する……」

覚悟を決めたと言うには大袈裟かも知れないけれど、長い間誰もが知りたくて知りえなかったエリーゼの行方が少しでも判明するかもしれないのだ。
部屋中に聞こえてしまうのではないかと思うほどに、心臓がドクドクやかましい。

「エ……エリーゼに心当たりあるの?」

気を抜けば震えてしまいそうな声に力を込めてデューンに問い掛けた。

「誰だ? エリーゼって」

すると話の成り行きが分からないロイズハルトがそう呟く。
それに対して私は手短に内容を説明してみせた。
が、やはり彼女が姉である事は言えなかったが……。
けれどたったそれだけでもロイズハルトは話の内容をある程度把握したのか、顎に手を当てて「なるほど」と頷いた。

「んで、何でデューンがその女の事なんて知ってんだ?」
「別に知ってる訳じゃねぇけど、一つ思い出した事があんだよ」
「思い出した事?」

うまく声を出せない私に代わってロイズハルトが淡々と話を進めていく。
早く知りたいのに、何故か体がそれを拒絶するかのように動かなくてもどかしかった。
私は何て臆病なのだろう……。
デューンが紡ぎ出す一言一言に……怯えている。

「オレの記憶違いじゃなければ、の話だけど……ルイのドールにエリーゼって名前のヤツがいたと思うんだが……」
「ドール?」

――ドール!!

その言葉に目の前が一瞬真っ暗になった。
シードヴァンパイアに魅せられて、シードヴァンパイアを追って消えた姉が、ドールになっているかもしれないという事は私自身何度も想像した。
けれど想像が可能性となって目の前に突き付けられた今、何かで頭を殴られたような衝撃すら感じる。

「ドール……」

私は再び確かめるように呟いていた。
無意識に。
その時レイフィールがふいに口を開いた。

「でもさぁ、偶然名前が一緒なだけじゃないの? 何か特徴とかないワケ? そのドールの」

そうだ。
確かに名前だけではそのドールが姉だという可能性はとてつもなく低い。
何か別の手掛りがあれば良いのだが……。
レイフィールの疑問にデューンはしばし黙り込んで思案をめぐらせていた。
が、すぐに手を鳴らしてこう言った。

「ほら、レイだってロイズだって知ってんだろ? あのやったら美人のドールだよ!」
「あー!! ルイのお気に入りの! あの十字架のネックレスしてるドールでしょ?」

レイフィールがそう言って、デューンが頷く。
私はその瞬間、固まっていた。

「今……何て言った?」
「え? 十字架のネックレスだよ。クリスタル製かなぁ……ドールが十字架身に着けてるのなんて初めて見たから覚えてるんだよね」

それがどうしたの、とレイフィールは屈託の無い笑顔を見せたが、私は逆に身体全体から血の気が引いていくのを感じていた。
無意識に神の名を小さく口走る。

「エル?」

そんな私に気付いたのだろうか、ロイズハルトとデューンが不審そうな目で私の名を呼ぶ。
手が震えた。
体が震えた。
けれどそんな事を言う前に私にはもう一つ確認しなければならない事があったのだ。
ゆっくりとシードの三人を見回して、そしてごくりと唾を飲み込んだ。
冷たく湿った首元に手を伸ばし、そこから下げた銀の鎖に指を絡ませてその先を辿る。

「もしかして……その十字架って……これ?」

そして引き上げた十字架のネックレスを三人に見せた。
少し大きめのクリスタルの十字架。
これは私とエリーゼを繋ぐ唯一の証。
もしそのドールが持っていたとされる物がこれと同じならば、それは間違いなくエリーゼだ。

「どう?」

震える両手で十字のネックレスを差し出した。
レイフィールをはじめとするシード三人がそれを覗き込む。

ほんの僅かな沈黙さえ永遠に思えた。





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