残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



4.ルイという男




結局私は茶会のほとんどを茂みの中で過ごした。
別に親しい誰かがいる訳でもないし、エリーゼの行方を捜すのもまた次の機会にすれば良い事だと思って。
リーディアと肩を並べて膝を抱えて語り合ったあの時間は、色々な意味で有意義だったと思う。
今まで知り得なかったドールの実態や苦しみ、そして喜びを少しは知る事が出来たから。

帰りがけにデューンやレイフィール、それにロイズハルトとカルディナに出くわしたが、私はあえていつも以上に機嫌良く振舞っておいた。
カルディナには一言、別の言葉も付け加えておいたが。
その言葉が効いたのか、翌日からあの不審な箱はぱったり届かなくなった。
代わりに随分と悪い風評が広まってしまったが、まあいい。
開けないと中身の分からないプレゼントに比べたら何倍もマシだ。

「ねぇねぇ、エル。男好きってホント? 聖職者でも男と寝るの?」
「……私のどこを見てそう思うワケ?」

あっという間に城内に広まった私の噂に真っ先に食いついてきたのは、意外にもレイフィールだった。
適当に話を聞き流しているだけでもすごいセリフを次から次へと吐くものだから、私もすっかり呆れてしまう。
けれど無邪気で愛くるしいほどの笑顔を振り撒かれて、それでもまあ良いか、と思ってしまう私もどうかと思うが。

「でもさー、僕のドール達は意外とエルのこと好きみたいだよ?」
「いいよ、そんな気遣いしなくて」
「いやホントに! まあロイズのドールと仲良くないからかもしれないけどさ」
「ドール同士でも対立してるの?」

それの方が意外だと言わんばかりに問い返すと、レイフィールは何の躊躇いもなくコクリと頷いた。

「ロイズのドールって威張ってるんだよね!」

物凄く大きな声を張り上げるレイフィールに、周りの視線が集中する。
彼が好きだというこの庭園に咲く薔薇は今が一番綺麗に花開いていて、日暮れと同時に城内からたくさんの人が花を愛でに降りて来るのだ。
今も数人のドールと思われる女性がそこにはいるのに、レイフィールは構わず不満をぶちまけるものだから一緒にいるこっちが焦ってしまった。
けれど話を聞いていた誰もがくすくすと笑って、中にはレイフィールに賛同する者までいた。
何だこの展開は。
私は思わず狼狽する。
が、ふと思った。
これってもしかして……?

「全部アンタのドール?」
「うん、そうだよ?」

大きく頷くレイフィールは楽しそうにあっけらかんと言ってのけたが、私は間抜けに口を開けたまま周囲を改めて見回してしまった。
ざっと見ただけでも十人近くはいるんじゃなかろうか。
けれどこれで全員なのかというと、少し疑問が残る。

「ねえ……アンタだけでもドールって何人いるの?」

一夫一妻が主流の人間からすれば、誰もが不思議に、そして興味深く思うことだろうけど。

「僕? 僕は少ないよ。二十人くらいかなぁ」

何の躊躇いもなくそう言ってのけるレイフィールの言葉に眩暈がした。

「に……二十人て」
「少ないでしょ? 他のみんなは三〜四十人くらい普通だよ?」

開いた口が塞がらないというのは、まさにこの事だろうか。
一人のヴァンパイアに対して……四十人とは。

「ど……どうなってんの? アンタ達……」

声が震えるのだって仕方ないだろう?
人間、しかも聖職者の私から見れば正直言って驚愕の事実だ。
想像すら難しい。
先日、デューンに対してエロだのバカだの散々喚いたけれど、あの言葉はデューンには相応しくなかったのかもしれないとふと思った。
それに、彼にしてみれば不本意なものだったのかも、と。
だって彼はドールを持ってはいないのだから。
今度会ったら一応謝っておこうか。

「でもさあ、エル達とはやっぱり文化も風習も全然違うんだね。ドールの数なんかで驚いちゃったりして、なんか可愛い」
「か……かかか?」

何を言い出すのかと思いきや、私を更に混乱させる気だろうか?

「僕のドールの数で驚いてたら、ルイのドールなんか見た日には気絶だね!」
レイフィールはそう言って、周りを取り囲むドール達と無邪気に笑いあった。
「ルイって誰?」

突然出てきた聞き慣れない名前に首を傾げると、談笑を続けるレイフィールの代わりに、彼のドールの一人がすっと口を開いた。

「ルイ様はシードのお一人ですわ。エルフェリス様はまだお会いになった事はなくて?」
「うん、知らない。初めて聞いたもん」
「まあ、それは惜しいことを……。ルイ様は大変お美しい方ですのよ。レイ様には申し訳ないのですが、私達も思わずうっとりしてしまいますの」

彼女はそう言うと、夜空と同じ濃紺の扇をさっと広げ、にこやかに微笑んだ。

「そんなに綺麗な人なんだ。女のシードは死に絶えたって噂聞いたけど、まだいるんだね」

ホッとしたようなそうでないような。
何ともいえない感情が何ともいえない表情を作っていたと思う。
けれどレイフィールのドールは僅かに目を伏せると、ちらりと己が主を一瞥して、それからゆっくりと首を振った。

「いいえエルフェリス様。あなた方の思う通り、女性のシードはもう既に死滅しました。……数年前の事です」
「そう、シードはもう僕達四人だけ。……少ないよね」
いつの間にドール達との会話を終えたのか、レイフィールが寂しそうにそう呟いた。
「ごめん……」

あまりに悲愴な顔をする彼に、私は触れてはいけない話題に触れてしまったのだと後悔した。
彼らを滅亡へ追いやる一因を担ったのは紛れも無く人間なのだ。
ヴァンパイアハンター達の愚かな乱獲がそうさせた。
もう本当にシードヴァンパイアは絶滅への道を歩むしかなくなったのだと思うと、私は何故だか胸が痛んだ。
人間にとってそれは歓喜すべき事なのかもしれないが、シードの面々を知ってしまった私は正直どう反応すべきなのか分からない。

シードが滅ぶ時。
それはすなわち、ロイズハルトやデューン、レイフィール、それにルイという男の死を意味しているのだから。
いつかデストロイが言っていた“人間が人間として生きられる時代”を人々は歓迎するだろう。
私だってどこかでそう思っている。
けれど、別に彼らシードの死を望んでいるわけではない。
――彼らは私に笑いかけてくれるから。
それにシードがいなくなった後の世界は、或いは今よりもなお悪化するかもしれない。
枷の外れたハイブリッドがそのまま大人しくなるとは思えないから。

「そんな難しい顔しないで? 僕たちは死んだりしないよ。……しばらくはね」

レイフィールはそう言うと、にっこりと微笑んで自身が育てた白い薔薇に手を伸ばした。

「死ねないよ。今のままじゃ」

そしてそう呟いたのだ。
僅かに冷たい風が白で埋め尽くされた庭園を吹きぬける。

「そういやさ! もしロイズのドールで困ってる事があるならルイに相談してみなよ!」
「え? なんで?」

唐突に話題を変えたレイフィールに少し驚きつつも問い返す。

「ルイはさぁ、ロイズよりも歳くってるから立場的にはロイズより上なんだよね。だからドール達もルイやルイのドールには逆らえないんだ。ルイを味方にすればロイズのドールも大人しくなるんじゃないかな」

腕組みをしてさも名案だと言わんばかりに頷くレイフィール。
簡単には言うけれど。

「だから私はそのルイって人とは面識ないんだって」

初対面でしかも人間。
そんな小娘をシードのトップであるルイという男が相手にしてくれるとは思えない。
けれどレイフィールはそれでもにこにこと笑みを漏らす。

「大丈夫だよ。ルイは優しいから。……基本的に」

うん?
最後に付け加えられた一言に妙な疑問を感じた。
基本的に?
もし基本に当てはまらなかったらどうなるのだろう。

「別に困ってるわけじゃないんだけどなぁ」

思わぬ気遣いを受けて、何だか心がむず痒い。
けれどもしもの為に、ルイの事は覚えておこう。
そう思った。

「僕のドールだってみんな困ってるんだもん。こういう時くらい役に立ってもらわないとね」

まだ見ぬ男・ルイに対して、レイフィールはそう感想を漏らした。
その発言に彼のドールも一斉に同意する。

「ロイズ様は良い方ですが……ドールの方々は何故か……ねえ」

先ほどのドールも言葉を選びながらもそう苦言する。

「確かに……うん。ロイズの趣味ってちょっと変わってる気はするなぁ」

つられて私も本音をポロリと零してしまった。
確かにそう。
ロイズハルトは聡明な感じがするのに、彼のドールはどこか思考が幼くて……そして心が醜い。
直接手を汚さずに、じわりじわりと嫌がらせを繰り返すところとか。

「でしょ? ロイズってさあ、来る者拒まずなんだよね。誰かを好きになったところなんて見たことないし、冷たい男だよ。悪い男だから気をつけな!」
「う……うん」

まさかレイフィールの口からそのような台詞が出て来るとは夢にも思わず、私は彼の忠告に思わず苦笑してしまった。
冷たい男、悪い男か。
ふと三者会議の折にロイズハルトが見せた笑顔が、脳裏をよぎっていった。
ロイズハルトの事を想うと息が苦しくなる。
私は壊れてしまったのだろうかと思うほどに。
リーディアの話を聞いていた時も、カルディナといた時も、……そしてたった今も。
心臓が痛くて、人知れず右腕で自分の身を掻き抱いていた。
すると突然、隣に腰掛けていたレイフィールが私の肩にもたれ掛かってきた。

「どうしたの?」

慌てて顔を覗き込むと、熱っぽい眼差しで私を見上げるレイフィールと目が合った。
アイスブルーの瞳がすぐそばで揺らめいている。
その呼吸は僅かに乱れていた。

「レイ……?」

もう一度名を呼ぼうとするよりも前に、レイフィールの手が私の手をギュッと握り締めた。
再び彼と目が合う。

「?」

突然にどうしたのだろうと狼狽していると、ふいにレイフィールのもう片方の腕が私の背に回った。

「ねえ、エル……。僕貧血になっちゃった。血……恵んで?」

妙に色っぽい瞳と吐息が頬を掠め、私は思わず固まってしまった。
その隙にレイフィールの唇から覗いた舌が私の首筋をペロリと舐める。
生温く湿った感触に身体がゾクリと反応した。

「ややややめてよ! 血ならドールにもらえば良いじゃん!」

急回転を始めた思考が煩いほどに警鐘を鳴らす。
私は精一杯の力を込めてレイフィールを引き剥がそうとしたが意外にも彼の力は強くて、気が付くとレイフィールの腕の中にすっぽりと抱き込まれる形になっていた。
がっちりと二の腕と肩を固定されて、身動きが取れない。

「ちょっと嘘でしょ……? やめてよ……」
「ダーメ。エルって白魔法使いなんでしょ? シード以外のヴァンパイアを焼き尽くすって言われるその血……味見させて?」

震える私の懇願も、くすくすと笑みを漏らすレイフィールには届かなかった。
無常ともいえる彼の舌が再び首筋を這う。
ぞわぞわと全身がわなないた。
止められない。

「可愛い……怖いの? 大丈夫、ちょっとだけだから……」

私を堕落させる悪魔のように、レイフィールは耳元で囁いた。
けれど何とか彼の手から逃れようと全身に力を入れ、助けを求めて周囲を見回した。

「……うそ」

先ほどまでいたレイフィールのドール達が一人残らず消えていた。
呆然と呟いた私の肩口から小さな笑い声が響いてくる。
その声が……忌々しい。

「僕のドールって気が利くでしょ? 邪魔者は誰もいないよ」

ふいに顔を上げたレイフィールの口元から、赤い舌と白い牙が覗いていた。

――ッ!?

その瞬間。
脳裏に何かの映像が浮かび上がって、消えた。
一度だけ大きくうねった心臓が、たった一瞬の残像が、――私を狂わせる。

「やめて!!」
「エル?」

何が何だかわからなくなった。
けれどガタガタと震える身体を止められない。
そんな私の変化に気が付いたのか、レイフィールの顔色がみるみるうちに蒼ざめていった。

「ごめんエル! 冗談だから落ち着いて!」

泣きそうな顔をしたレイフィールが震える私の身体を強く抱き締める。
それでも震えは止まらない。
何故だか解らない。
あの残像が何なのか解らない。
ただ、赤い舌と白い牙に、私は狂うほどの恐怖を感じた。

「エル……!」

何故なの?
何で涙が溢れるの?
私はどうしてしまったの?
この城に来ると決めた時から、こんな状況は幾らでも想像していた。
幾らでも覚悟していた。
それなのに何で?

――コノ残像ハ何?

「ごめんね? ごめんエルフェリス! ……ごめんよ」

必死の眼差しでレイフィールは私を抱きながら謝り続けた。

「泣かないで?」

少し震えが治まってきても、レイフィールは私を離そうとはしなかった。
時折背中を擦っては私が落ち着くまでずっと。

「ごめんね、エル。……もうしないから……嫌いにならないで」

ようやく落ち着きを取り戻した頃、レイフィールは私の肩に顔を埋めて泣きそうな声で何度も何度もそう言った。

「うん、大丈夫。もう大丈夫だよ。ごめんね」

私もそんなレイフィールの肩をポンポンと叩きながら、表情を崩して詫びる。
本当は恐ろしかった。
ヴァンパイアの顔をしたレイフィールが。
ヴァンパイアが。
そんな彼を私の全てが拒絶していた。
けれど私が本当に恐れたのはレイフィール自身じゃない。
私の中にある“何か”を恐れたのだ。

「大丈夫。気にしなくて良いよ」

しばらく経ってから、私はゆっくりとレイフィールの腕から離れた。

「うん……。こんなところデューンに見られたらまた怒られちゃうな」

目を少し赤くしたレイフィールも、ようやく安堵したのか眉尻を下げてくすくす笑った。
いつも通りに。
けれど……。

「見てたけどね……ずーっと」

レイフィールの背後からゆらりと大きな図体が姿を現わすと、彼はさっと顔色を変えた。

「うわ! デューンッ!!」

その姿を認めるや否や逃走を図ろうとするレイフィールの首根っこを、大きな手がむんずと掴む。
その顔にはハッキリとした青筋。
頑丈に握り締めた拳がゆっくりとレイフィールの頭上に振り上げられた。

「レイてめぇ……発情してんじゃねぇよッ!! このクソガキッ!!」

容赦ない一撃がレイフィールの脳天に振り下ろされる。
思わず目を塞いでしまうほど鈍い音が誰もいない庭園に響き渡った。
一瞬の沈黙。
そして大地に向けてゆっくりと傾くレイフィールの体。
私は両手で口元を覆い、その情景を息を呑んで見つめていた。

「いってぇなぁ」

苦痛に顔を歪めて遥か頭上のデューンを睨み付けるレイフィールに、デューンは至極非情で冷めた笑顔を向けた。

「こんな真似……誰が許すかよ」

二人を交互に見つめながら私はただ、黙って立ち尽くすしかなかった。





「何をごらんになってますの?」

窓辺に佇んだまま離れようとしない男に痺れを切らした女は、裸のまま背後から男に絡み付いた。

「ロイズ様……」

そして何かを強請るように甘い甘い声で男・ロイズハルトの耳元で女は囁く。
それでもロイズハルトの視線が揺らぐ事は無かった。
無言のまま複雑な笑みを浮かべて、ずっと一点ばかりを見つめている。

一体何を……?

不審に思った女が窓の外に目をやると、少しばかり離れた薔薇の庭園に三つの人影が見えた。
頼りない月明かりの中、目を凝らすとどうやら一人は少女のようだった。
その少女が随分と小柄に見えるのは隣に立つ男が長身だからだろうか。

あのシルエットは……。

「……デューン様?」

それにもう一人の男ははっきりと見て取れた。
あれは間違いなくレイフィールだ。
何故あの二人が?
女はさらに目を細め、彼らと共にいる少女が誰なのか見極めようとする。
自然とロイズハルトの身体に回した手に力が入った。

何故?
何故……?

その姿が誰なのか確信するにつれて、女の瞳に憎悪の炎が灯る。
キュッと噛み締めた唇からギリッという音が漏れた。

どうして……。
どうしてなの……?
どうしてロイズ様はあの女を見ているの?
今、彼の目の前にいるのは自分なのに。
愛されているのは自分なのに!

女の中の狂気があっという間に膨らんでいく。
だが、それでも女はロイズハルトが再び自分を顧みてくれる事を期待した。
ただ景色に目を奪われていただけだと笑ってくれる事を期待した。
しかし、自分に背を向けたままの愛しい男はその晩、とうとう彼女に目を向けてはくれなかった。
差し出した女の手を振り払って、男は何も言わずに部屋を後にしたのだ。
こんな事は今まで一度もなかった。
一度たりとて……。
振り払われた手が震える。

「……許さない……」

一人取り残された部屋の中、女は静かに怒りを募らせる。
あの憎たらしい女の居た方をじっと睨み付け、鋭い爪を冷たい窓ガラスに突き立てた。
その力に抗えず、僅かな悲鳴を上げた赤い爪がパキリと欠けたが、怒りと憎しみに支配された女にはそんな事どうでも良かった。
ただただ呪いの様に何度も何度も同じ言葉を繰り返し呟く。

「殺してやる……。殺してやる……エルフェリスッ!!」

雲の切れ間から姿を現わした月が女の姿を照らし出す。

「ロイズ様は渡さない……。彼は私の物よッ!!」

そこにいたのは、目を真っ赤に血走らせたカルディナだった。





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