残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



2.ドールが見る夢




女の噂と結束力はどうしてあんなに強大なのだろうといつも思っていた。
昨日の敵は今日の仲間、今日の仲間は明日の敵と言わんばかりに刻一刻とメンバーを入れ替えながら、いつか飽きるまで続いて行くのだ。
やられる側としては針のむしろ。
じわりじわりと真綿で首を絞められていくような感じなのだろう。



「ああ、またッ!!」

部屋のドアを開けたリーディアが一秒もしないうちにそう叫んだ。
遅れて顔を出した私も、またか、とうんざりしてしまう。

カルディナに出会った翌日から、私の部屋の前に毎日不審な箱が届くようになった。
一日目はズタズタに引き裂かれたドレス。
二日目は泥にまみれたブーツ。
そして三日目、四日目は……いちいち覚えるのも面倒くさい。

「悪質ですわ。さっさと処分してしまいましょう!」

私が中身を確認する前にリーディアがその箱をさっさと持ち去ろうとすると言う事は、今日は相当ヤバイ物でも入っていたのだろうか。
一応確認させてくれと主張してみたものの、今日ばかりはダメだとリーディアに強く押し返されてしまった。
それどころか。

「大体! エルフェリス様もエルフェリス様です!! いい加減シードの方々に苦情の一つでも言ったらどうですの? このままではエスカレートする一方ですわよ」

毎日毎日腹を立てつつも、それでも最後は「悪い悪戯だ、気にするな」と笑って終わらせていた彼女も、さすがに今日と言う今日は我慢の限界を超えたらしい。
一度持ち上げた箱を足元に置いて、くどくどくどくど説教は続く。

「とにかく! さっさとお着替えになって! ちょうど今日は月に一度の庭園茶会の日ですし、私がシードの方々にガツンと言って差し上げますわ!!」

リーディアはそう言うと、声高らかに握り締めた拳を振り上げた。
あまりの勢いにこっちが腰を抜かしそうになる。

「いいよいいよリーディア! ほっとけば良いんだって!」
「いいえ! いくらなんでもこれは失礼ですわ! それにエルフェリス様の身辺警護を承ったからには、危害を加えようとする輩を厳しく排除しなければなりません。それに……これはドールの仕業でしょう。彼女らは毎回自らの所有者が新しいドールをお迎えになる度、このような仕打ちを繰り返してきました。こんな風潮はどこかで誰かが断ち切らねばなりません」

リーディアの力説に私はすっかり言葉を失ってしまった。
だってそれって早い話が、ただの居候の人間の私がドール達の嫉妬の対象になっているかもしれないという事だろう?
ドールを持たない主義のデューンはともかく、ロイズハルトやレイフィール、それにこの城に駐留している上位ハイブリッドに至るまで、私はほとんど接触する事すらなかったのに。
それなのに?

「ドールでない人間(ヒューマン)がこの城に居住する事自体前例が無い上に、エルフェリス様は女性。ドール達は一種の危機感を感じているのかもしれませんわ」

やや落ち着きを取り戻して、リーディアがそう言う。
けれど……。

「ドールになる気も、ハイブリッドになる気もないよ!」
「そんな事、彼女達はどうでもいいのです。問題はエルフェリス様のお気持ちではなくて所有者であるシード方のお気持ちなのです」
「どういうコト?」

いまいち話が見えずに私はただただ首を振る。
するとリーディアは着替えのドレスを私に手渡しながらこう言った。

「デューン様のお心を捉えたエルフェリス様をみな恐れているのでしょう」

くすくすと笑うリーディアに、私は全力で否定する。

「違うよ! デューンはあたしをからかってるだけだって。深い意味なんかないよ」
「それなのですわ」
「え?」

意味が分からないと首を傾げる。
からかわれているのがどうしてドールの嫉妬に繋がるのだ。
例えばデューンが私にハッキリとした好意を示しているのなら理解できる。
でも違う。
デューンは私をからかって楽しんでるだけだ。
ドールが私を恐れる理由なんか無いはずなのに。

「デューン様は他のヴァンパイアと違って身体がしっかりなさっているでしょう? 彼は本来シードの中でも武闘派、闘将一族の方なのですわ」
「とう……しょう?」
「ええ。ヴァンプの中でも体力的に優れた一族の血を引く方で、その能力を生かして大きな戦争などでは中核として活躍されたりもしてました。昔の話ですが……。そんなあの方が初めて女性に興味を示されたのです。ドールの心中は穏やかでなくて当然ですわ」
「買いかぶり過ぎたって」

人間とヴァンパイアの間で戦争があった事は文献や人伝などで知っていた。
それはもちろん盟約締結以前の出来事。
記録では数度とされるその戦いはいずれも人間側から引き起こされたもので、決着という決着はつかなかったとされる。
しかし本来ヴァンパイアの弱点ともいえる体力の欠如をもろともせず、肉弾戦においても凄まじいまでの力を発揮した者達がいた事をその文献の筆者は特筆していた。
あのデューンがその一族の血を引くヴァンパイアとは。

「でも……そういう人なんだ。だからあんなに観察深いんだね」
「ええ。闘将一族ただお独りになった今でも、デューン様は常に城内に出入りする者達には目を光らせております。だからその責務の妨げとならぬよう、ドールをお持ちにならないのです。ドールは血を提供するだけの存在ではありませんからね」

この前訊きそびれてしまったが、デューンがドールを持たないのにはそんな理由があったのか。
確かに、ドールは血の為だけに存在する訳ではない。
昔からドールはヴァンパイアの愛人のようなものだと言われてきた。
居城の平安を見守る者にとっては、愛欲まみれのドールは時に邪魔な存在となり得るのだろう。

「ヘラヘラしてるのに意外と硬派なんだね」
「ええ。どんな美姫(びき)がデューン様に迫っても、見向きもされなかったらしいですからね」
「はは。どんな顔して振るのか見たかったなぁ」

笑いながらもドレスに袖を通し、姿見の前に立って細かいところを調整した。
曲がったスカートを調えて、少し上に持ち上がった袖も伸ばす。

「よし、完璧! どう?」
「素敵だと思いますわ。髪が伸びれば本当にお人形のよう」

胸の前で両手を合わせるリーディアは私の後ろに立って、私の姿を見ながら少女のようにはしゃいでいた。
ふわふわ弾む膝丈のスカートに、何だか私の心も躍る。
ドレスの色は黒だけど、惜し気もなくレースがふんだんに使われていてとても綺麗。

カルディナと出会ったあの日に適当に掴んで持ってきたドレスのうちの一つだ。
リーディアが居城に戻ってくるまでの数日間部屋に引き篭もって、もらったドレスを全て好みの形に作り替えた。
着慣れない上に、やたら長い裾を引き摺って歩くのは好きじゃない。
それにドールと同じ様な格好をするのは……正直気が引けた。

「明日から箱の数増えちゃったりしてね」

私が冗談ぽくそう言うと、リーディアはくすくす笑って「阻止してみせる」と意気込んだ。

やがて茶会の開始を知らせるベルが鳴り響き、続々とヴァンパイアやドールが集まる中、私もリーディアを伴って庭園へと赴く事にした。
私達が庭園へと下りる頃にはもうすでに数多くの群衆で賑わいを見せていた。
この城にこんなにたくさんのヴァンパイアやドールが住んでいたなんて知らなかったが、リーディアの話によるとこの茶会の為だけに居城に出向いて来る者もいるのだそうだ。

なるほど、と彼女の話を聞いていると、突如現れた一人の男。

「あら、ヘヴンリー。珍しいじゃない」

そう、この男もどうやら例外ではなく。

「ちょっとご機嫌伺いにね」

両腕と背後に自らのドールを数人従えたヘヴンリーは、意味ありげにニヤリと笑ってリーディアと軽く言葉を交わすと、ゆっくりと私の目の前に立ちはだかった。

「よう、エルフェリス。この前はどーも」
「こちらこそ」

顔半分を不自然に吊り上げ笑うヘヴンリーに負けじと満面の笑みを造ってみせる。

「まさかここでも会うとは思ってもみなかったがな」

それはこちらのセリフでもあるのだが。
目まぐるし過ぎる居城での日々で、正直この男の存在を忘れてしまっていた事はさすがに口には出来ない。
私の事を突き刺す様な目で見てくるドールもいる手前。

「それは残念。ここにしばらく置いてもらう事になったから、また会う事もあるかもしれないけど」

ありったけの皮肉を込めてそう返す。
するとヘヴンリーはその両腕に絡みつくドールの腕を鬱陶しそうに振り払って笑った。

「どーりで。シードのドール共がやたら煩いと思った」

ヘヴンリーの言葉に彼のドールらも一斉に笑い出す。
ああ……コイツらウザイなあ……。
何とか心を落ち着かせようと僅かに視線を逸らして深呼吸をしていると、私の前にずいっとリーディアが出てきて一喝した。

「静まりなさい! 下品ですわ」

未だ見たこともないような冷たい表情をしたリーディアが至極低い声で忠告すると、ドール達はビクッと身体を震わせて口を噤んだ。
しかしヘヴンリーは余裕の笑みを湛えたまま、怯えるドールを慰める。

「ようリーディア、あんま脅かすな」
「ならば自分のドールくらい教育しなさいな。ヘヴンリーともあろう者が笑われますわよ」

挑発するような眼差しを向けるヘヴンリーに対してもリーディアは毅然と立ち向かった。
その姿になおも怯え続けるドール達が酷く滑稽に思えるくらい。

「ふん、余計なお世話だ。とにかくシードのドール達には近付かない方が良さそうだぜ? 奴らは何かと物騒だからな」
「どういう事よ」
「それはリーディアの方がよく知ってるはずだろ? アイツに聞けばいい」

しばしの沈黙の後に、ヘヴンリーはそれだけを言うと再びドール達の手を取って、群衆の中へと消えて行った。

「何よあれ」

言いたい事だけ言ってさっさと逃げるだなんて。

「申し訳ありません、エルフェリス様」

ヘヴンリーの後姿を見つめながら、リーディアは私に向かって頭を下げた。
別にリーディアが謝る事ではないと言っても、彼女はバツの悪そうな表情を崩さなかった。

「怒るのも文句言うのも私の役目! リーディアは気にしなくて良いんだよ」
「しかし……」
「いいの! ドールっていっぱいいるんでしょ? いちいち相手にしてたらキリがないって」
「それはまあ……そうですが……」

そう、私にはそんな暇はない。
ドール達の勘違いで嫉妬されるのはハッキリ言って迷惑だが、それよりもやらなければいけない事があるではないか。
エリーゼの消息を掴んだらここからさっさとサヨナラするつもりだし、自分から事を荒げるつもりは毛頭ない。

だが、私は今、ドールとトコトン対決する事を決めた。
矛盾しているだろうか。
いいや、これで間違ってはいないはずだ。

「リーディア言ってたよね? ドール達の悪い風潮は誰かが止めなきゃいけないって。それ、あたしがやるから」
「ええっ!?」

押され気味に話を聞いていたリーディアも、私のこの発言にはさすがに驚いて叫んだ。
恐らくリーディアは一人で何とかしようと考えていたのだろう。
でもそれでは私の気が済まない。
私にはドールと対決する理由も自信も十分にあるし、根拠は無いが勝算もこちらにある気がするのだ。
こんなこと、ドールらの前で公言してはまた嘲り笑われてしまうだろうが。

「どっちにしても今は私が受けて立たなきゃいけない問題なんだよ。少なくともカルディナは私の事をよく思っていない。彼女から目を逸らすのは簡単だけど、あたしはこの城で“捜し者”をしなきゃいけないんだ。その為にはいずれは彼女達の協力も必要になるかもしれない。だから多少手荒な手段を使ってもドールにはあたしの存在を認めてもらわなきゃ!」

言葉の最後の方はほぼ自分への決意のようなものだ。
もしこの城に集うヴァンパイアが悉くエリーゼを見知らぬとも、ドールならば何かを知っているかもしれないとふいに思った。
女の噂は広まりやすい。
多少の尾ひれは付くかもしれないが、ヴァンパイアだけにあたるよりも可能性は各段に広がる。

「ただ……さ。ホントにヤバイ時は……助けてくれる?」

リーディアならば信頼出来ると思えるようになったから。
だからもしも私がピンチの時は、彼女の助けを請いたい。

「も……もちろんですわ!!」

大きく頷いてリーディアは微笑んだ。
その答えが嬉しくて私もつい目を細めた。
私、ここに来てからの方がよく笑ってる気がする。
変なの。
ここには私にとって何一つの安らぎなどあるはずもないのに。

私は変だ。
変だ。

その時ふと、群衆の中にドールを従えて誰かと談笑しているロイズハルトの姿が目に入った。
彼の傍らには当然の如くカルディナ。
あの時と同じ様にしっかりとロイズハルトの腕に絡み付いては、他のドールに対して鋭い眼差しを見せている。
その姿を認めて、私とリーディアは思わず顔を見合わせて苦笑してしまった。

「ドールも案外大変そうだね」

カルディナの様子を見る限り、この様な公の場でロイズハルトの腕を取れる者は彼のドールの中でも突出した存在なのだろう。
彼が引き連れているドールはやはり数人いたが、ヘヴンリーのようなまさに両手に華状態でないところを見ると、どうやらカルディナがロイズハルトの“一番”のようだ。

――てかなんで?
なんでなの?
なんで胸がチクチク痛むんだろう。
心臓が動く度に見えない針で突付かれているようだ。
苦しい。

息が出来ない。

「カルディナも……哀れな女なのですわ」

ふいにリーディアがそう呟いたのが聞こえて、私は改めて彼女の方に向き直った。
いつもの声色と違うように感じたから……。

「リーディア?」

さっきまでの様子とは明らかに違う彼女の顔を窺うように声をかける。
けれどそんな私の姿さえ目に入っていないのか、どこかを見つめたままのリーディアは語り続ける。

遠い遠い過去に想いを馳せながら……。





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