残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



8.断罪の日(2)




それから数日後、完治とまではいかずとも、何とか自由に動き回れるほどにまで回復した私は、足慣らしをしようと庭園に下りてみる事にした。
それも太陽降り注ぐ昼日中に。
伴う者は誰もいない。
私だけが唯一出歩ける時間。
誰にも邪魔される事なくゆっくりと英気を養えるというものだ。

しかし、それ以外に目的があった。
確かカルディナは地下牢獄にいるとロイズハルトは言っていた。
静養にあてていた期間をただ無駄に過ごしていた訳じゃない。
頻繁に部屋を訪ねてくるデューンやレイフィールにそれとなく牢獄の位置を聞いたりして、いつか一人でその元へ乗り込んでやろうと目論んでいたのだ。
聞くところに寄れば、ロイズハルトとの血の契約を破棄されたカルディナは日に日に老い衰えているらしい。
契約によって成長を止められていた体が、契約破棄と同時に大きな反動をもたらしているのだろうと専らの噂だった。
そうなってしまえばその者の体は長くはもたない。
急激に加速する体の変化に魂がついていけなくなるらしいのだ。
という事は彼女に残された時間はあと僅かである事は容易に想像がつく。
何としてもその前に事の真相と、そして彼女に手を貸した死霊使いの事を聞き出さねばなるまい。
だから私はあえて皆が寝静まっているこの昼間を選んだ。
邪魔する者のいない二人きりの方が、或いはカルディナの本音を引き摺り出せるかもしれない。
そう思ったからだ。

すっかり弱ってしまった足に鞭打って、教えてもらった地下への扉を開け放った。
その瞬間、体に纏わり付く様な冷気が吹き抜けていった。
それには何というか……やはり地上とは違う薄気味悪さがあった。

「……大丈夫……大丈夫」

自分にそう言い聞かせながら、狭くて冷たい階段を下へ下へと下りて行った。
ほんの僅かな足音さえこの空間にあっては大きく響く。
加えてこの雰囲気。
いかにも何か“出そう”だ。

「……」

足が震えるのは決して弱っているからではなかった。
はっきり言って暗闇は苦手だ。
私の視界から色を奪ってしまうから。
けれどカルディナへの確たる思いが、私を前へ前へと突き動かした。
やがて最下層に辿り着いたのか、階段は途絶え、代わりに微かな灯りに照らされた一本道が奥の方へと伸びていた。

「ここか……」

最下層の一番奥。
そこにカルディナは幽閉されているのだとデューンやレイフィールは言っていた。
私がそこへ出向く事は薄々感付いていた様だが、二人は特に引き留める様な事はしなかった。
私の気の済む様にすれば良いと言われている気がした。
また私の勝手な思い込みだろうけど。
カツンカツンと私の足音が静寂と闇に包まれた回廊に木霊する。
けれど進むにつれて、それ以外の何かが混じるようになった。
胸を潰される様なカラカラの嘆き声……。
私は気を引き締めて、その声が発せられる牢の中を覗き込んだ。

「……カルディナ……?」

そしてそっと名を呼ぶ。
返事は無かった。
訝しげに思って回廊を照らす小さな松明を手にとってさらに奥を覗くと、隅の方で小さくうずくまる人の影が目に入った。
私や灯りに顔を背けて、どんなに問い掛けても影はピクリとも動こうとしない。
しかしながらずっと、掠れた声で泣き続けているのだ。

「……カルディナ。あなたカルディナでしょ? そのままでいいから、私の質問に答えて」

しばらくは彼女が泣き止むのをじっと待っていたが、どうやらそれは長期戦となりそうだった。
だから私はさっさと根競べを放棄して、カルディナに問い掛けた。
いくら泣いたって、優しくなどしてやらない。
彼女の今の状態を、気の毒だなどと思ったりもしない。
この状況を招いたのは他でもない、彼女自身なのだから。

「黙り通すならそれでもいいよ。でも聞いて。どうしてあんな事したのか知りたいの。私もリーディアも、あそこまでされる様な事をした覚えはないわ。それともロイズの名を騙って私達を殺す事で……ロイズを陥れたかったの?」
「違うッ!!」

それまで聞く耳を持たなかったカルディナが、そこで初めて反応を示した。
こちらの動きを静止させるほどの絶叫を伴って。
そして揺らめく松明は、牢の奥からこちらを睨み付ける女の姿を照らし出した。
その姿に私は驚愕し、息を呑んだ。
血色も良く張りのあった肌はしわしわに衰え、綺麗な光沢を放っていた髪の毛は艶のない白髪と化している。

「……」

本当にこれがあのカルディナなのかと俄かには信じられないほどに。
けれど痩せ衰えても目の輝きだけは、異様なほどに圧力を感じさせる。

「私がロイズ様を陥れるなど……冗談でも言わないで頂戴ッ!! 私はただ……目障りなアンタとリーディアを消したかっただけ……ロイズ様は関係ないわ!」

カルディナはそう言うとゆらりと立ち上がり、まるで私に噛み付くかの様な勢いで冷たい鉄の格子に手を掛けた。
もとより私だってカルディナがロイズハルトを貶めるなど有り得ないと判っている。
挑発して誘導しただけだ。
そこに私の本意は無い。

「ならどうしてロイズの名を使ったの? アルーンやイクティをも犠牲にして……ロイズが疑われるとは思わなかったの?」
「思ったわ! 思ったけど……あの男がそうしろと言うから……」
「あの男?」

カルディナがボソッと呟く様に言ったその言葉に、私は瞬時に禁術使いの事を指しているのだと直感した。

「ロイズ様の名を騙ったとしても、アンタ達二人を消してしまえば問題ないと言われたわ。アルーンとイクティも……ロイズ様を誘惑した罪よ。あの方は私の物なのに!! いい気味」
「……たったそれだけの理由で……あの二人を……?」

あの夜見た二人のドールの姿が蘇る。
二人とも、人としての最期を迎える事が出来なかったのだ。
人であるのに、人で在らざるモノとされた。
カルディナの狂気と、死霊使いの呪いによって。

「たったそれだけで……あんな死に方しなきゃいけなかったの? あんたは間違ってるよッ!!」
「間違ってませんわッ!!」
「間違ってるッ!!」

冷たく静まり返った回廊に、私達の怒声が響いては消えていった。
間違っていないだと?
軽々しく人の命を奪っておいて、間違っていないだなんて言わせない。
声が、震えた。

「アンタは……自分の意思でこの計画を企んだの? 私とリーディアを殺す為だけに?」
「……私は……」
「どうなのよ! 死霊使いの男にそそのかされたの? アンタがそそのかしたの?」

今にも爆発しそうな怒りを無理やり押し込めて、私は目の前の老いた女を睨み付けた。
唇をぎっちりと噛み締めながら。

容赦はしない。
どんな答えが返ってこようとも、容赦はしない。
そう自分に言い聞かせた。

すると一方のカルディナは突然全ての力を失ったかの様に、その場にへなりと座り込んだ。
その瞳は虚ろに揺らめいている。

「あの男が……死霊術を使うだなんて知らなかったのよ……。ただ目に物見せたいなら、ドールを二体ほど用意しろって言われて……あの二人を差し出した」

いよいよ観念したのか、カルディナはゆっくりとではあるがその口を開いた。
私はそれを慎重に聞き取っていく。

「あの男とは……庭園茶会の日に城の外で出会ったの。黒いマントで身を包んだ恐ろしいくらいに美しい男……。その後はまるで魔法に掛けられた様にロイズ様の名で手紙を書き、それを適当なハイブリッドに持たせ、あんた達に届けた。けれどそれからの事は全てあの男がやったのよ!! 私は知らなかった……こんな事になっているだなんて……知らなかった……。それなのにこんな仕打ち……酷いわ……」

冷え切った床に突っ伏して泣き叫ぶカルディナ。
その姿を私は、ただ黙って見下ろす事しか出来ない。
ロイズハルトへの激しい愛が、彼女を盲目にさせているとしか思えなかった。
いや、もはや愛ではなく執着か。
歪んだ愛にカルディナは知らず知らずのうちに取り込まれてしまったのだ。
周りが見えなくなるほどに……。

――ねぇ、エリーゼ。
あなたもそうだったの?

何故かふと、明るく笑う姉の顔が脳裏をよぎった。
けれど今、目の前にいるのは姉ではない。
愛と言う名の魍魎に取り憑かれた哀れな女だ。

「その男の特徴を教えて……。どんな顔だった? どんな背格好だった?」

男を突き止めなければ、この事件は終わらない。
そう思った私は再びカルディナに向けて、追及の手を伸ばしていく。
けれど私の問い掛けにカルディナは泣き崩れたまま首を振るのみだった。
何もわからない、何も知らないのだと繰り返しながら……。
それでも私はしばらく同じ質問を何度も何度も投げ掛ける。
何も知らない訳が無い。
絶対に何か一つくらい手掛りとなる物はあるはずだ。
ここで引き下がる訳にはいかない。
見逃すには彼女に残された時間が少なすぎるのだ、と自分に言い聞かせながら。
男の姿を見たかもしれないアルーンもイクティも、あの夜すでに息絶えた。
あの事件に加担したハイブリッドも全てあの場で殺されたと聞いた。
死霊使いの男に関する手掛りは、もうこのカルディナ以外に残されていないのだ。
彼女を失ってしまったら、全ての謎は永遠に闇に葬り去られてしまう。

「カルディナお願い! 何でもいいから思い出して!! 髪型は? せめて目の色とかは見たんでしょう?」

地べたに座り込むカルディナを覗き込んで、半ば怒鳴り付ける様に声を張り上げた。
その問い掛けに、カルディナの顔が少しだけ上がる。

「……目は確か……黒だったわ。光の無い漆黒……。でもそれ以外は本当に何もわからないのッ!! 私は悪くない……私は悪くないのに……!! ロイズ様ぁああッ!!」

耳を切り裂かれるほどの嘆きに、私は思わず天を仰いで目を塞いだ。
再び冷たい石の床に伏して自らの境遇を哀れむカルディナを見ていられない。
自分が招いた結末なのに何と都合の良い言い分なのだろうと憤りを隠せない反面、何故か彼女を救ってやりたいと思う気持ちが心の奥底で渦巻いている事に気付いてしまった。
容赦はしないと、あれほど決めたのに。
私はまだまだ甘い。
そう思うと、自嘲の笑みが漏れた。

「……わかった……」

そう言った私の声は果たしてカルディナに届いたのだろうか。
泣きじゃくるカルディナはひたすらにロイズハルトの名を口に出し、そして自分は悪くないのだと繰り返すのみだった。

黒い、漆黒の眼を持つ男。
ただそれだけの手掛りでも、十分なのかもしれない。
こうなってはもう、カルディナからこれ以上を聞き出すのは難しいだろう。
心の底から大きな溜め息が出た。
それからゆっくりと立ち上がる。
足元で崩れたままのカルディナを横目で見下ろして。

「懺悔したくなったら私を呼んで。いつでも……いくらでも救ってあげる。けど……その気が無いのなら、私は絶対にアンタを赦さない」

何があろうとも最期は救いの手を差し伸べるのが聖職者だと言うのなら、私はやはり未熟なのかもしれない。
でもそれでもいい。
後悔も罪の意識も無い魂は、私には救えないから。
鉄格子の向こうで泣き続けるカルディナを尻目に、私はただそれだけを告げると、地上へと繋がる唯一の回廊を足早に進んだ。

悔しかった。
自分の命を狙われた事がじゃない。
例え間接的にでもいくつもの命を奪ったのは紛れもない事実なのに、彼女はそれを罪だとは思っていなかった。
また、それを罪であるのだと認識させる事すらも出来なかった。
それが無償に悔しかったのだ。

爪が食い込むほどに拳を握り締める。
どうして、人の心は歪んでしまうのだろう。
生まれ落ちた時は皆、その目に、その心に、曇りのない色を湛えていると言うのに……。

「……どうして?」

地上はもう茜色に包まれて、やがて来るであろう闇の訪れを待ち焦がれている様だった。
今夜はきっと満天の星空を仰げるだろう。
そんな空の下、私の心は複雑な色に染まっていった。
そんな時……。

「エルッ!!」

ふと誰かに名前を呼ばれて、ハッと顔を上げた。
遥か先の城内入り口に、シードの三人が立っているのが見えた。
その姿に、張り詰め通しだった顔の緊張が僅かに緩む感じがする。

どうして?
どうして?

頭では何度も同じ疑問がぐるぐると回っている。
けれどそんな自分を見せたくなくて、私は、心を殺して笑っていた。

「カルディナのところに行ったんだな?」

三人の元に近付くなり、そう問い掛けてきたのはロイズハルトだった。
その顔をちらりと横目で確認する。
僅かに眉間に寄った皺が、密かに私の心を揺さぶった。

「……うん。行ったよ」
「何か聞き出せたのか?」
「……漆黒の瞳の男。ただそれだけだよ……ごめんね、役に立たなくて……」

ロイズハルトの問い掛けに私は短くそれだけ答えると、三人の脇をすり抜けて、自室への道を辿った。
取り繕った顔が壊れそうだったから。
早くこの場から去ってしまいたかった。

「エル、ありがとう。後は俺達が何とかする」

すれ違い様、そう声を掛けられたが、今の私には振り返って頷くだけの余裕がなかった。
久々に動かした身体は悲鳴を上げて崩れ落ちそう。
そして心も崩れ落ちそう。
けれどそれを三人には悟られたくないと、必死で平静を装った。

疲れた。
自室に戻るとすぐさまベッドに沈んだ。
身体を投げ出して、押し寄せる疲労感にじっと耐える。
眠りに堕ちる事はなかった。
虚ろに目を見開いたまま、ずっと一点を見つめる。
その先に映るのは、華やかに笑うカルディナの残像のみだった。





それから数日後、誰にも看取られる事なくカルディナはひっそりとその生涯を終えた。
華々しく活気付く者達の陰に隠す様に運び出されたカルディナの遺体は、以前の姿とは比べ物にならないほど痩せ衰え、見る影もなかった。
見送る者も誰もいない。

「エルフェリス様、城内にお戻り下さいませ。ここから先は……」

黒いマントに身を包んだハイブリッド達が、カルディナの身体をどこかへと運んで行く。
その後を無意識に追っていたが、やがて城門の前に辿り着くと、一人の男が立ち止まり私にそう言った。
そしてすぐに踵を返すと、その男もまた他の者に付いて城門を越えて行った。
見送る者は誰もいない。
私一人。

「……さようなら……」

ふと言葉が漏れた。
そして小さな祈りの言葉を呟く。
それくらいしか、私には出来ないから。
せめて彼女がいつか、あの罪を罪として受け止めてくれる事を願って……。

「神よ……どうか……」

あの魂を、救って下さい。
私には出来なかったから。

黒の葬列を見送りながら、私はただ、それだけを願った。
死霊使いの男の詳細は結局分からず仕舞いだったが、今後もその存在を念頭に置いて一層の注意を払う様、ロイズハルトから忠告があった。





それからしばらくして。
日々の平穏が戻った頃、ルイと言う男が帰城するという知らせが城内を駆け巡って行った。





第四夜 灰色の風 へ


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