残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



8.断罪の日(1)




「カルディナはドールとしての行動を誤った。速やかに血の契約を破棄し、処分決定までの間、地下牢獄に幽閉とする」
「そんな……嫌です!! ロイズ様……ロイズ様!!」
「……私の客人がそれほどまでに気に入らなかったのか? しかし、一介のドールに過ぎないお前に、私の大切な客人を陥れようなどと言う過ぎたマネは有るまじき行為だったな。それがどういう事か、お前には分からないようだ」
「……違います……違います!! そんなつもりは……!」
「問答無用だ。もはやお前に用は無い。連れて行け」
「嫌……嫌ですッ!! ロイズ様ぁぁぁぁッ!!」





女の叫び声が聞こえた。
泣いているの?
嘆いているの?
どうしてそんなに痛々しい声で泣くの?
泣かないで。
私が助けてあげるから……。





ぼんやりと霞みがかった瞳が何かを映していた。
広がる白い布の先に、アンティークの花瓶。
そこに活けてあるのは……白い薔薇?
確かめるように一度ゆっくりと瞬きをした。
それによってぼやけていた視界が次第に形を取り戻していく。
ああやっぱり。
白い薔薇だ。
レイフィールの大好きな白くて美しい薔薇の花……。

「……。バラッ!?」

自分の置かれている状況が全く分からず、私は大声を上げて飛び起きた。

「痛……ッ!」

その瞬間に腰に激痛が走る。
無意識にそこに手を当てて、視線を自らの身体に落とせば、白い包帯が幾重にも巻かれている事に気が付いた。

「いてて……ッて、あれ?」

そこで初めて自分が今、どこか部屋の中にいるのだと悟る。

「え?」

知らない部屋だ。
知らない部屋の大きなベッドの中。
そういえば着ている物もいつの間にか白地の夜着に変わっている。

「???」

何がどうなっているのか全然分からなかった。
思い出せる限りでの一番最近の記憶は、あの闇深い森の中でアンデッド達に囲まれた辺りまでだ。
ロイズハルトとデューンが来て……乱戦になって……。

それで終わり。

そこからどうなって、今こうなっているのかいくら考えても思い出せない。
ともかくここがどこなのか確かめるのが一番早いだろうと、痛む身体を引きずってカーテンの前に立ち、おもむろにそれを力一杯引いてみた。
暗闇に慣れた目が、やわらかく輝く乳白の光に反応する。
眼下に広がる景色は、もうすでに見慣れた物となった居城からの眺めと何ら変わりはなかった。
それに関しては何故かすごくホッとした。
けれど……。

「月が……あんなに?」

あの月。
あの夜は確かに新月だったはずだ。
それなのに今、夜の世界を照らしている月はすでに半分ほど姿を取り戻した状態にあった。

「……?!」

痛みを忘れるほどに煌々と輝く月に見入っていた。
だから声を掛けられるまで、そこに人がいた事にすらしばらく気が付かなかったのだ。

「ようやく目覚めたか。傷の具合はどうだ?」

突然背後から声を掛けられて、誰の目にも分かるほどに体をビクつかせてしまった。
それに対して笑みを漏らした声の主を、私はバツの悪い顔で振り返った。
そしてハッと息を呑む。

「……ロイズ……」

普段とはまた違った感じの彼がそこにいた。
身なりも雰囲気も良い意味でルーズで、今日は何だか少しだけ幼い印象を受ける。

「久しぶりすぎて俺の顔忘れたのか?」

ぽけーっと無言で見つめる私の寝乱れた髪に手を伸ばし、その大きな手で優しく撫でる。

「……ロイ……!」

そしてそのまま一気に私の身体を抱き上げた。

「ちょちょちょちょちょーーッ!?」

突然近付いたロイズハルトの顔に動揺して奇声を上げた私に、また彼は爆笑する。
けれどその間にも彼は踵を返すと窓辺からベッドへ移動して、ゆっくりと私の体をベッドに沈めていった。
私がその様子を目を白黒させながら見つめていたせいか、ロイズハルトはずっと柔らかく微笑んでいる。
それから寝転がる私のすぐ隣に腰を下ろして、それから大きく息を吐いた。

「長い昼寝だったな、エル。……心配したぞ」

そうしてそう呟いた。

「長いって……一体どうなって……」

事の真相を聞こうとして、私は再び身を起こそうと力を込めた。
が、半分ほどのところでやはり腰の傷が邪魔をし、そのままベッドに倒れこんでしまった。

「いった……」

「もう少し安静にしてろ。言っとくけどお前、かなりの重傷だ」
「重傷って……私一体どうなったの?」

苦痛に顔を歪めながらも、ロイズハルトにそう問い掛けた。
痛みより何より、今は自分の身に一体何が起こったのか、そしてどうやって今に至ったのか知りたい。
懇願の眼差しでロイズハルトを見上げた。

「弱っていても相変わらずだな、エル。デューンに感謝するがいいさ。あいつがいなければ……お前はきっと死んでいた」
「死んでって……私やっぱり……」
「ああ。あの時、お前達の背後から新たなアンデッドが湧いたんだ。そいつらに不意打ちを喰らった」
「……」

背後から不意打ちを……。

「リーディアは? リーディアは無事なの?!」

彼女だって私の傍で戦っていた。
彼女も同じ様に傷を浴びせられてしまったのだろうか。

「リーディアは大丈夫だ。……だが向こうもかなり傷付いていたから静養中には変わりないけどな」
「そう……ところでデューンは何をしてくれたの? お礼を言おうにも何が何だか分からなくて……」

あの夜はもう、目の前のアンデッドを相手するだけで精一杯だった。
だから背後からの攻撃に全く気が付かずに、私はそのまま意識を失くしたのだろう。
ロイズハルトやデューンが来てくれなかったら、私は本当に死んでいたのかもしれない。
文字通り助けてもらった訳だ。

……情けない。

「まあ、そこまで気落ちするな。デューンが施したのは解毒」
「解毒?」
「ああ、どういう訳かあのアンデッドの刃には猛毒の液体が塗り込まれていた。傷も深かったが……その毒の方が厄介だった。でもああ見えてもデューンは毒物に精通している。……運が良かったな」

そこまで言うとロイズハルトは再び私の頭をくしゃっと撫でた。
ひやりと冷たい大きな手が心地良くて、私は思わず目を閉じる。
ふわっと微かに甘い香りがした。

「ね……ロイズ」
「ん?」

ロイズハルトの手が何度も何度も髪を撫でる。

時が止まれば良いと思った。
このまま……。

でもその幸せな一瞬を破り去ったのはこの私。
なぜなら今は、“知らなければならない事”を知る時であると思ったから。
この冷たくも温かい温もりに包まれて、夢に浸るのは簡単な事。
だが……今の私には他に知るべき事がある。

「私とリーディアを呼び出したのは……誰?」

遠く……どこか遠くを見つめながら、しかしはっきりと私はロイズハルトに尋ねた。
それに反応したロイズハルトの瞳が私に集中しているのが分かる。
でも私は、彼と目を合わせようとはしなかった。
……聞くのが……怖くなるから。

「……カルディナである事は間違いない。……すまない」
「……そっか」

ほら、やっぱりだ。
ロイズハルトは悪くないのに、私に謝罪した。
どんな顔をしているのかも、ある程度想像出来た。
私は見たくないんだよ。
ロイズの……そんな顔は……。
だから目を逸らしたのに、すぐに目が勝手にロイズハルトを追ってしまう。
視界に映る彼はやはり、苦渋に顔を歪めていた。

「カルディナが俺の名を騙って二人を呼び出した事は、あの夜レイが突き止めてた。あの日俺は辺境での仕事を終えて夜半過ぎに城へ戻る途中、あの滝でエル達を見つけたんだ。ヴァンパイアたる者の習性か、血の匂いには敏感でね。それに頻繁にオレンジの閃光が空に走っていたのも気になっていたんだ。まさかあのような事になっているとは思わなかったが……」

ロイズハルトはそこまで言うとキッとした光をその瞳に宿し、僅かに顔を上げて窓の方を見やった。
あの先には……あの泉がある。
私は黙って話の続きを聞いていた。

「エルが倒れた後、決着はすぐ着いた。それから急いで城に戻ったんだ。リーディアから事のあらましを聞いて……。手紙のところですぐにピンと来た。カルディナは俺と筆跡が良く似ている上、捌き切れない書類の代筆をたまに頼んでいたりしたから」
「……でも……リーディアはロイズの字に間違いないって言ってたよ?」
「リーディアには代筆の事は内緒にしていたんだ。手を抜くなと怒られそうだったからな」

そう言うロイズハルトの顔に一瞬の笑みが宿る。
けれど次の瞬間にはまた、厳しい表情に戻ってしまった。

「まさかこんな大それた事を仕出かすなんて思いも寄らなかった。だが……城に戻った時には既にレイがカルディナの尋問を始めていた。レイはああ見えても頭が切れる。憶測で物事を判断し、実行したりしない。だからそこで確信した。……カルディナが首謀したのだと……」

低く呻く様なロイズハルトの声に、私は無意識に肩を震わせた。

「尋問て……何を……」
「それは言えない。ヴァンプにはヴァンプのやり方がある。だが……レイの尋問は決して甘くは無い。カルディナが簡単に口を割ったところを見ると……それなりの事はしたんだろう」

その言葉に、一気に背筋が寒くなった。
彼らの言う尋問という物が一体どの様に行われるのかは知らないが、ロイズハルトの話を聞いている限り、拷問に近いのではないかと思ってしまう。
なかなか罪の告白をしない者達に対して行われる行為。
それが生半可な物でない事くらい、私でも分かる。
それを、いや、それに近い行為をあのレイフィールが行ったと言う事もショックだったが、何よりも当然の様にさらっと言ってのけるロイズハルトが酷く恐ろしかった。
それも仮にも彼のドールであるカルディナに対して……。

「ロイズはそれで良かったの?」
「なにが?」
「だって……あの女性(ひと)はロイズのドールじゃない。尋問なんて……」

あんな事に巻き込まれた私が、その首謀者を庇うだなんておかしな話だと自分でも思ったが、普段はあまり顔を見せない聖職者としての自分が目を覚まして、しきりにその対応を批判しようとする。
ロイズハルトが訝しげに私を見ているのも分かっていた。
何故擁護するのだと言わんばかりの表情で……。
それでも私にはどうしても受け入れられなかった。
けれどロイズハルトは私の頬に手を添えて、私の顔をじっと覗き込むと、有無を言わさぬあの瞳で私の心を捕らえた。

「カルディナはもうドールじゃない。契約はすぐさま破棄した。どんな理由があろうとも、俺の名を使い、エルを襲わせた事は許されない。それにあの女は誰か死霊使いと通じていた。それなのにそれについてはどんな手を使っても知らないと言い張る。アンデッドは場合によっては我らにとっても脅威となるんだ。そんな輩と例え一度でも通じた者を、ドールだからと言う理由で容赦出来るほど今回の事は軽くはないんだ!」
「――っ!!」

そう言い切ったロイズハルトに、私は何も言い返すことが出来なくなってしまった。
彼の主張がもっともなのは理解できる。
本当ならば私だってカルディナを一発ぶん殴りたいのだ。
卑怯な手を使ってまで私のみならずリーディアをも殺そうとした事、私は決して許さない。
それでも……納得しかねる手段が使われた事には、他に方法が無かった物かと考えてしまう。
カルディナはロイズハルトを愛していたのに。
彼の目の前で行われた尋問と言う名の行為を、カルディナは一体どの様な思いで受けていたのだろう。

何で。
何で私まで苦しくなるの?

そんな私の心中を察したのか、ロイズハルトは微かに苦笑いを浮かべていた。

「とにかく今は早く傷を治す事だけ考えろ。お前が元気になったらカルディナの処分を改めて考える。それでいいな?」
「……カルディナはまだここにいるのね?」
「ああ。地下に幽閉している。聞きたい事もまだまだあるんだ。それが終わるまでは何もしやしないさ」

そう言うと、ロイズハルトは再び私の髪にその指を絡ませた。
だが何を思ったのか、そのまま指は頬を経由して首筋を辿る。
その行動を疑問に思った頃にはもう、ロイズハルトの端正な顔が目の前に迫っていた。

「ちょ……ッと?」

今の今までの緊張感はどこへやら。
突然のロイズハルトの奇行に私は成す術もなく、ただただひたすらに動揺する。
けれど当のロイズハルトはそんな私の反応を楽しむ様に、何度も何度も首筋に指を這わせた。
その感覚が何とも言えないくすぐったさと心地良さを同時に引き起こす。
思わずロイズハルトを見上げると、彼はニヤリと笑っていた。

「どうやら噛まれた形跡は無いな」
「え……?」

その言葉にギョッとして、勢い良く身を起こそうとした。
しかしやはり傷による痛みに襲われて、すぐにベッドに崩れ落ちる。

「どどどーゆー事ッ!?」

それでもこれまでにないほど狼狽してロイズハルトに尋ねると、彼は悪戯っぽく笑って私の頬を撫でた。

「ははは。しょっちゅうデューンが添い寝してたから、まさかと思ってな」
「ッ!? そ……添い寝ってッ!!」

何でもない事のようにあっけらかんと言ってのけるロイズハルトの言葉に、物凄い勢いで頭に血が上る感覚がした。
しかも脳内の血液容量を超えたのだろうか。
……くらくらする。

「添い寝って何っ? 添い寝って……ッてかここどこッ!?」

パクパクしてうまく動かない口を無理やり動かして、私は咄嗟にロイズハルトにしがみ付いた。
混乱する脳が私の視界を無理やり狭めているせいで、今の私にはロイズハルトの姿しか映っていない。
けれど必死な私をからかう様に、彼はニヤリと笑ったまま私をじっと見つめていた。

「そんな顔すんな。ブサイクになるぞ」

はは、っと屈託の無い笑顔を向けられて、私の頭はますます混乱する。

「もう十分ブサイクだよ! それよりもここどこなのーッ!?」

もはやパニックの最高潮。
半泣きだった。

「まったく……。お前のどこがブサイクなんだか……」

そんな私を慰める様にポンポンと背中を擦りながら、ロイズハルトは私に聞こえるか聞こえないかほどの声でそう呟く。
そしてそれからゆっくりと私の方に向き直ると、体にしがみ付いたままの私に手を差し伸べて、ベッドの上に改めて座り直させた。
傷が痛まない様にと、背中にその腕を回して。

「からかって悪かったエル。でも心配するな。あの部屋は俺達の部屋からはあまりにも離れすぎていて目が届かないから、新しい部屋を用意したんだ。ここはその部屋。俺達の居住エリアでもある最上部にあるから、安心だろう?」

そう言って微笑むロイズハルトは、あまりにも優しい顔をしていた。
だからそんな彼に目を奪われて、一瞬呼吸が出来なくなった。

「そんな気遣い……しなくても良かったのにさ……」
「まぁそう言うな。先日の事態は俺にとっても不本意だった。一介のドールがあんな事を仕出かすとは……本当に申し訳なかった」

ゆっくりと垂れる頭、それから切れ長の瞳がそっと閉じられた。
嫌だ……。
そんな顔しないで……。

「やめてよ! ロイズのせいじゃないよ……あそこまで深入りしたのは私の意思だもん。あの場で引き返さなかった私が悪いんだよ」

ごめんなさい。
ロイズハルトよりもさらに深く、私は頭を下げた。
そうだ。
引き返せるチャンスはいくらでもあった。
それなのにカッと頭に血が上っていたあの夜は、意地でも引き返さない、目に物見せてやると意気込んでしまっていた。
私は判断を誤ったのだ。
こうして今ここにいられるのは、本当に運が良かったからなのだろう。
リーディアを巻き添えにしてしまった。
謝らなければならないのは……こちらの方だ。
背中の傷がしくしくと痛んだ。
ロイズハルトの腕が触れている、その傷が。

お願いだよ。
――このまま抱き締めて。

抱き締めてくれたら良いのに……。
なぜかそう、思った。

けれど私の思いとは裏腹に、ロイズハルトの温もりは私から離れていった。
おもむろに立ち上がって一人窓辺の方へと歩み寄るロイズハルトの姿を、私は目でしか追うことが出来ない。
少しだけ目頭が熱くなる様な感覚に、私の心は揺れた。





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