残-ZAN-  第三夜 偽りのドール 



1.シードのドール




幼い頃、大好きだった人形があった。
何度目かの誕生日のお祝いに、神父が買ってくれた女の子の人形。
目は大きくて、髪は金髪の巻き髪。
キラキラ輝くドレスがお気に入りで、眠る時まで一緒だった。
女の子だった誰もが一度はそんな人形を持った事があるのではないか。
可愛い可愛い自分だけの“人形(ドール)”を。



私の滞在が正式に認められてからすぐ、神父はここへ来た時と同じ様にリーディアらに警護されながら、一足先に故郷の村へと帰って行った。
私に「いつでも帰ってくるが良い」と言い残して。

神父の乗った馬車が見えなくなるまで見送って、それから一人、私の棲家となった部屋へと歩き出す。
急に噴き出した冷や汗が身体を伝い、例えようもない恐怖が私に襲い掛かった。
何があってももう、心の底から頼れる者は誰一人としていない。
何かが起こったその時は、私はここでひっそりと朽ち果てるのだろう。
それでもなお、この場に留まろうとさせるのは果たしてエリーゼの存在だけなのだろうか。
それとも私は別の何かに惹かれてしまっているのだろうか。
この城で朝を迎えれば迎えるほど、自分で自分が解らなくなっていた。

きっと、この狂おしいほどに咲き乱れる薔薇が私を惑わせるのだ。
ヴァンパイア達と同じ色をしたこの薔薇が。

庭園の前でふと立ち止まり、風に揺れる花に手を伸ばした。
その拍子にひやりと冷たい花びらが一枚、ひらりと舞い落ちる。
その軌跡を目だけで追うと、誰かの足が目に入った。
慌てて視線を上げると、そこにいたのは……。

「なんだ、デューンか」

その姿を認めて、ほっと胸を撫で下ろした。
あれからデューンヴァイス……デューンとはすっかり打ち解けてしまった。
彼が人を喰らうヴァンパイアであるのは重々承知しているが、何かと気さくに声をかけてくる彼に対して気を許してしまうようになった。
次の瞬間には彼の足元で冷たい骸になっているかもしれなくとも……。

「がっかりすんなよエル。オレじゃない方が良かったのか?」

相変わらずの白い顔から白い歯を覗かせて、ニヤリと笑うデューン。
そんなの「アンタで良かった」に決まっているが。

「デューンは戻らなくていいの?」
「いいのいいの。待ってるドールなんかいねぇし」

デューンはそう言うとその場に屈んで、形の良い鼻を薔薇の花房に近づけた。
その拍子に花が揺れて、甘い香りが立ち上る。

「まあ、そんなに余分な力は入れずに過ごせばいい。ロイズがリーディアを引き続きガーディアンとして付けるって言ってたし、困った事があれば助けてもらえ」
「なにそれ」

余計な心配など無用だと言わんばかりに、私はそっけなく横を向いた。
が、再び立ち上がったデューンは背を丸めて私の顔を覗き込むと、余裕たっぷりの表情でふふんと鼻を鳴らした。

「びびってんだろ。いつもの威勢の良さがねぇぞ」
「う……うるさいなっ!!」

痛いところを突かれて内心ドキッとした。
ヘラヘラしているようでもデューンはよく人を“視ている”。
私に限らず、周囲にいる者全てをよく観察しているのだ。
気さくに人の心に入り込み、不審な動きを察知すれば忽ち強大な敵へと変貌するのだろうか。
やはりあまり隙を見せる事は出来ないと再認識させられる。

「ねぇデューン」
「ん?」
「今までさあ、アンタのドールになりたいって言った人間ていなかったの?」

ただただ不思議に思ったから問いかけた。
が、デューンは何だか楽しそうに笑う。

「なに? オレのドールになりたいの?」
「はっ!? んなワケないでしょーがっ! ただ何でアンタだけドールを持たないのか知りたいの」
「何だつまらん。エルならドールにしてやっても良かったのに」

そう言うとデューンはいきなり真顔になって、私の手首をがっしりと掴んだ。
そしてその顔をさらにぐっと近付ける。
目の前にセピアゴールドの瞳が揺れていた。

「な……なによ……」

目を逸らしたいのに逸らせない。
不思議な力に束縛されたように、私はじっと固まってしまった。

「エル……」

デューンが私の名を耳元で呟く。
彼の熱い吐息が首筋を掠めていった。

……ヤバイ、私さっそく……殺される?

そう思った途端、私は全てを後悔しながらギュッと目を閉じた。

「スカート破れてる」
「えっ?!」

慌てて目を開けスカートの裾を摘むと、薔薇の棘に引っ掛けたのか、大きく開いたスカートの穴から私の太股が覗いていた。

「ぎゃーーーっ!!」
「いいじゃん、そっちの方が色っぽいぜ」

狼狽する私に対して、デューンが爆笑しながらフォローと思える言葉を発する。
けれどそんなのフォローになるか!

「やっべー、やっぱ面白い。褒美にドレスをやろう」

何が褒美モノなんだかよく分からないが、デューンはあわあわしている私の身体をひょいと持ち上げると、逞しいその肩に担いだ。
いきなり視界にデューンの背中が広がって、更に何がなんだか分からない。

オマケに。

「ちょっとっ!! どこ触ってんのよ!!」

どさくさに紛れてデューンの手が外気と人目に曝された太股に伸びて、サワサワと蠢いた。

「わわわわ、ちょっとぉ!! エロヴァンプッ!!」
「まーまーいいじゃん。ヴァンプはみんなエロいの! 気にすんな」

肩の上で暴れる私を押さえ付ける様に足を触りながら、デューンはにやりと笑った。
そしてそのままの状態で、城内の衣装部屋まで連れて行かれる。
幾つも輝く鋭い光に気付きもせずに。



「よし、好きなの選べ。てか好きなだけ選べ。どうせ服もあんま持って来てないんだろ?」

本当に衣装だけの部屋なのかと思うくらい広いクローゼットのど真ん中でようやく下ろされた私に、デューンはそう言った。
そして自らはそこに置いてある大きなソファに身体を投げ出す。

「好きなのって……」

一通り見るだけで相当の時間が掛かりそうなんですが。
大量のドレスの前でオロオロしていると、寝転がったままのデューンが「足見えてんぞ」とからかうものだから、私は慌てて服探しに取り掛かった。
ここへは最小限の荷物しか持って来てないのは事実だし、この際だからデューンの好意に甘えてしまおう。
けれど……。

「ねぇデューン。ここってドレスしかないのー? ってアレ?」

しばらくドレスの海を彷徨っている間にソファからデューンの姿が消えていた。

「あれー?」

さっきまでは確かにソファに寝そべっていたのに……どこかへ行ってしまったのだろうか。
そんな風に思いつつもとにかく早く探してしまおうと後ろを振り返る。
と。

「デューン様ならロイズ様と表に出て行かれましたわ」

私のぴったり背後に見知らぬ女性が立っていた。

「うわっ!!」

体全体で驚きを表現した私に彼女は少し嘲りの表情を込めて苦笑する。
豪華なドレスに身を包み、さらには大粒の宝石でその身を彩っていたその女性は、私を見て不思議そうに首を傾げた。

「見かけない方だけど、新しくドールになった方? どなたの?」

そう言った女性の顔は一転して穏やかに微笑んでいたが、その瞳は少しも笑ってなどおらず私は密かに身を震わせた。

「いや、私はドールじゃ……」
「あら、じゃあ人間?」
「はぁ……」

私の返答を聞いた途端に大袈裟なほどの驚きを見せる彼女。
肌はやや色白だが、赤み差す頬や白い肌から浮き上がる蒼い血管はどう見てもヴァンパイアのそれではない。
とすると……。

「ドール以外の人間なんて初めて見たわ、この城で。デューン様ったら一体どういう風の吹き回し?」

形の良い掌で口元を覆い、女性はあからさまに眉をひそめる。
さっきから聞いていれば人間人間て言うけれど……。

「あなたドール?」

いい加減うんざりしていた感情をなんとか心の奥底に押し込んで、必死に取り繕った笑顔でそう問いかけた。
すると彼女は「当然だろう」といった言葉をやや乱暴に投げつけてくる。
何がそんなに気にくわないのか知らないけれど、綺麗な身なりをしていても初対面の者に対する礼儀とやらは知らないらしい。

ドールは人間。
ヴァンパイアと血の契約を交わした人形。
ヴァンパイアの呪いとも言われるその約定は、どんなに大量の血液を抜かれてもヴァンパイア化せずに生き続ける事の出来る身体に造り替えるものだとされる。
一度契約を交わせば破棄せぬ限り人としての記憶は失われ、契約主の為だけの僕(しもべ)としてヴァンパイアと行動を共にするのみ。

「私はロイズ様のドールなの。カルディナよ。ひとまずはよろしく」
「私は……エルフェリス」

カルディナの差し出した手に自分の手をゆっくりと重ねた。
トクトクと脈を打つ、血の廻りを感じる掌に新たな驚きを覚える。
ドールは人間であって人間でない人形。

ずっとそう思っていたから。
ずっとそう思われていたから。

「あの……エルフェリス? そろそろ放してくださらない?」
「あ、ごめんなさい!」

彼女の手をずっと握り締めたままだった事をすっかり忘れていたせいで、さらにカルディナの気を悪くしてしまったようだ。
慌てて手を放したが、彼女は私が握っていた手をもう片方の手で擦りながら、私をキッと睨み付ける。

「エルフェリス。どなたのお招きかは知らないけれど、ここにはここのルールがありますの。人間といえども守ってもらうものは守ってもらいますわよ」

不敵に笑う彼女の首筋から、まだ新しそうな噛み跡がちらりと覗いていた。
必要以上に紅く蠢くその傷が私の中に新たな戦慄を生み、何とも言えない不快感を引き起こす。

「ルールって?」

カルディナの笑顔の裏に隠された真意を読み取ろうと、私もあえて表情を和らげた。
初めから何となく気付いてはいたが、カルディナの私に対する行為は全て善意によるものではない。
気付かぬ振りをし通そうと思っていたのに、私は確信してしまった。
危うく彼女のペースに乗せられてしまうところだったがそうは行かない。

「どんなルール? 教えてください」

刺激しない程度の挑発を。

「人間の私にも解るように……ドールのカルディナさん」

挑発を。
心の奥底に黒い炎が灯る。

「おーいエル、見つかったか?」

その時、衣裳部屋のドアが開かれ、デューンと何故かロイズハルトも中に入って来た。

「ロイズ様! デューン様もご機嫌麗しく」

突如態度を一変させたかと思うと華やかに微笑むカルディナを尻目に、私は小さく溜め息を吐いてロイズハルトを一睨み。
女の趣味悪いんだよ! と思いながらさらに舌打ちも加えておいた。
こんな姿、神父の前でしたら絶対殴られるんだろうな。

「なんだ? やけに機嫌悪いじゃないか、エルフェリス」

訳も解らないまま八つ当たりの標的にされてロイズハルトが苦笑する。

「別に? ところでさあ、ドレス以外の服って無いの?」
「ああ……そういえば無いかも」

デューンが思い出した様にそう言うと、ロイズハルトも同様に頷いた。

「ドレスが嫌なら切れば良い」

そうしてニヤリと笑う。

「え? 切って良いなら切るけど? ドレス動き辛いし。あ……でも……」

一度言葉を切り、ちらりとカルディナを一瞥する。
案の定彼女はシードと私のやり取りを面白くなさそうに見つめていた。
人形も人並みに嫉妬するのかと心の中で哂う。

「でも?」
「勝手にドレスを改造するのは“ルール違反”かな?」

強調するようににっこり笑ってカルディナに問うと、何とも言い難い複雑な笑顔が返ってくるのみだった。
もちろん彼女が主張するルールと言うのがドールの中だけで存在するものだという事くらい初めからお見通し。
これはちょっとした反撃だ。

「ここにあるものは好きにして良いと他の者にも言ってある。だからエルフェリスも好きにすれば良い」

ロイズハルトのお墨付きとあらば、カルディナだって口を噤むしかないだろう。
真一文字に結ばれた唇と、微かに引き攣る眉頭が彼女の心中を顕著に示しているようだ。
けれど差し出されたロイズハルトの腕に嬉しそうに絡みつくカルディナの姿に、私は何故かホッとしたものを覚えた。
何故だかわからない。

同時に感じるこの軽い痛みさえも。

「用が済んだのなら行くぞ、カルディナ」
「はい!」

すでに選んであったのだろうドレスを空いた腕にかけると、カルディナはロイズハルトをいとおしそうに見つめたまま、彼にエスコートされ部屋を出て行った。
私とデューンはそれを静かに見送る。



「アイツになんか言われた?」

二人が立ち去ってすぐ、真顔のデューンにそう聞かれたが、私は緩く首を振ってみせた。

「たいした事じゃないよ」

デューンから誤魔化すように目を逸らす。
くだらないただの争いだ。
わざわざデューンの耳を汚す事もないだろう。

「まあ、それなら良いけど。カルディナはロイズのドールの中……つーかドールの中でも力を持ってるヤツだからな。結構始末ワリィぞ」
「えっ!?」

デューンの忠告に私は思わず声を上げた。

「ロイズって何人もドール持ってるのッ!?」
「てかツッ込むとこ間違ってるだろ!」

半笑いのデューンにおでこをベシッと叩かれて、私もつられて吹き出した。

「まあいいや。とにかく何でも良いから着替えろ。誘ってんのか?」
「は?」

一瞬キョトンとしてしまった私に向かってデューンは妖しく微笑むと、私の腰をぐっと引き寄せて破れたスカートの穴から露出する太股に触れた。

「ぎょえーーーッ!! このエロバカッ!!」

デューンの胸を両手で押し返し一番近くにあったドレスをむんずと掴むと、そそくさフィッティングルームへと逃げるように駆け込んだ。

「エールー。生着替えでも構わないぞー!」
「うるさいッ!!」
「あはは」

能天気にバカ笑いするデューンの声を全身に浴びながら、大慌てで着替える私。
これでも一応聖職者なのに!
なんて迂闊だったんだろう。
今日だけで二度も足を触られてしまった。
それも男性に。
ヴァンパイアに。

「デューンのバカヤローっ!!」

沸々と湧き上がる怒りを爆発させながら、袖に腕を通し、背中のファスナーを何とか上げる。
デューンはその間、ソファに仰向けに横たわり、くすくすと笑い続けた。

「……ホント……変なヤツ……」

そう呟きながら。





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