残-ZAN-  第二夜 三つの思惑 



3.共存の盟約




一見聞こえは良いが、共存なんて言葉は裏を返せば互いに牽制する為の便利な表現に過ぎない。
この会議に於いては特に。
元々敵対していた者達が己の身を守る為に結んだ盟約なのだから当たり前と言えば当たり前なのだが。
ヴァンパイアの牙に怯えていた人間、ハンターの影に怯えていたヴァンパイア。
互いが互いに安息の地を手に入れることが出来たのがこの盟約の最大の利点であると私は思っている。
しかし何かの歯車が何処かで少しずつ歪みを見せ始めた今、盟約自体を疑問視する者達も現れ出した。
ここで再び確かなる取り決めが成されればまた、これまでの秩序も取り戻されよう。

先ほどから私は黙って会議の行方を見守っていた。
単なる同行者でしかない私には発言権は無に等しい。
だが完全なる傍観者に徹してしまえば、色々な思惑が案外良く見えたりするものだ。

今回の鍵は特に、ヘヴンリーと言うハイブリッドが握っているように思えた。
この男の意見によっては長年培われてきた盟約も容易に破綻しかねない、そんな状況。
例えば彼本人も案外それを見越していたのだろうか。
こともあろうにヘヴンリーは私達人間側に、吸血地域の拡大を打診してきたのだ。

「バカな! これ以上広げられては人間の住まう土地すら奪ってしまいます!!」

その声にその場にいた誰もが言葉を飲んだ。
ヘヴンリーの提案に真っ先に批判の意を示したのは人間である私でも神父でもなく、ハイブリッドのリーディアだったのだ。

「私達は前々回も同じ要求をしていますのに、これ以上はさすがにヴァンパイアと言えども私は賛成しかねます」
「そうですね……。以前我々は譲歩に譲歩を重ねてあなた方の条件を飲みました。現状としてこれ以上範囲を広げる事は不可能だ」

リーディアの後押しを借りて、神父もすぐさま反論の意を唱える。
十数年前、私の物心が付くか付かないか、そんな頃に開催された三者会議も荒れに荒れた会議であったと言われている。
あの頃はシードもまだ数多く健在で、どちらかと言えばヴァンパイア優勢の世の中にあった当時は、会議に出てくるシードもなかなか話を聞いてくれる様な人物ではなかったと、先代の神父が嘆いていた姿を今でもよく覚えている。
そんなヴァンパイアに圧しに圧されて彼らの領土拡大を承認せざるを得なかった前々回の三者会議。

くしくもその時広げられた領内でエリーゼは恐らくシードと出会って、そして消えた……。

これも何かの因果なのだろうか。
私を惑わすように蝋燭の炎が揺らめく。

「エルフェリスとやら。アンタはどう思う?」

突然話を振られてはっと顔を上げると、頬杖を付いたロイズハルトと目が合った。

「え……あの……」
「聴いていなかったのか。ヘヴンリーは我々の領土拡大を提示しているが、アンタはどう考えるか、と聞いているんだ」

そう言ってニヤリと笑う。
その顔をどこか呆然と眺めながら、どうしてここで私の意見が必要なのだろうと不思議に思った。
私は人間だ。
聖職者だ。
普通に考えても反対意見しか出ないのは向こうとしても予測済みだろうに、何故ここで私に意見を求めるのだろう。

「発言許すってさ。何でもいいから言ってみなよ」

レイフィールもニコニコ微笑みながら私に意見を催促する。
何なのこの空気は。
予想外の展開に、私は若干戸惑いながら目を泳がせる。

「エルフェリス様。遠慮はいりませんわ!」

リーディアまで。
私はただの同行者なのに。
私はただのオマケなのに。

――私の発言に効力は無いのに。

「エルフェリス。意見を」

絶対的な束縛の目で、ロイズハルトが私を射抜く。
その瞬間、私の中で何かの箍(たが)が外れた気がした。

――私の発言に効力は無い。

「私達人間にことごとく死ねと言うのなら、反対はしない」

ごくりと唾を飲み込んでから、私はなるべく低い声を保ったままそう呟いた。
その言葉と同時に、ロイズハルトの瞳がキラリと光って、それから楽しそうに細められる。
レイフィールもデューンヴァイスも何故か一様に私の発言に満足したように頷いた。

「人間がいなくなって困るのはアンタ達ヴァンパイアの方でしょ? 一緒に心中したいなら幾らでもどうぞ」

私はお断りだけど。
そんな風に思っているとシードの三人が一斉に笑い出した。

「お前マジ面白いな、サイコー!」
「ホントホント! ロイズ相手にこんな物言いするヤツ久しぶりだね!」

手を叩いて喜ぶデューンヴァイスに対して、レイフィールも大口を開けて賛同する。
そしてロイズハルト。
さっきまで冷たく鋭い顔をしていたのに、目の前で笑う彼はまるで美しい絵画に描かれている天使のようだった。
なんて表情(かお)をするのだろう。
私は一瞬で目を奪われてしまった。

その後しばらくシードの三人は笑いっぱなしで、リーディアもどうやら笑いを堪えている様子。
神父に至っては随分と複雑な表情で私に笑いかけていた。
怖い。
そしてヘヴンリーは一人、不機嫌そうな顔をさらに深めていった。

「さて、エルフェリスはそういう意見のようだが、司祭も同じでよろしいのか?」

未だ笑いを引きずったままのロイズハルトが、神父にそう尋ねる。
すると神父もにっこり笑って頷いた。

「概ねはね。ただちょっと言葉が悪かったですね」
「―――ッ!!」

ヴァンパイア達には見えない箇所を思いっきり抓られて、私は声にならない悲鳴を上げた。
涙目で神父に非難の眼差しを向けてはみたが、「どうした?」とばかりの笑顔が向けられる。

この笑顔は偽りだ。
悪魔の笑顔だ、神様!

私と神父のやり取りにシードらはまた笑い出したし。
ピリピリと張り詰め通しだった場の空気はすっかり打ち壊されてしまったようだ。

「どうすんだ? ヘヴンリー。人間側はそう言ってるぜ?」

目尻に溜まった涙を指で拭いながら、デューンヴァイスがニヤリと笑う。

「僕も別に今のままでいいんだけど?」

小悪魔のように微笑むレイフィール。
そして最後にロイズハルトによってトドメが刺されるのは想像済み。

「分が悪いなヘヴンリー。今回は見送ってはもらえないか?」

圧倒的な圧力を感じるその瞳に、さすがのヘヴンリーも唇を噛み締め、ただ頷くしかなかったようだ。

シードを超えるには、まだまだ彼では役不足。
シードらのヘヴンリーに対する視線からはそんな雰囲気すら漂っていた。

「……分かりました」

しばらくの沈黙の後、ヘヴンリーは突然立ち上がって面倒くさそうにそう言った。
そして会議中であるにもかかわらず広間の扉に向かって歩き出し、躊躇うことなく大きな扉を押し開ける。

「盟約と我らの発展を祈って」

去り際僅かに振り返ったヘヴンリーはハッキリとした声でそう言うと、さっさと広間を後にした。
彼の足音が聞こえなくなるまで誰一人、その口を開こうとする者はいなかった。



ヘヴンリーがあっさり引き下がった事で、その後の三者会議は特に何事も無くスムーズに終結することとなった。
今回は内容に大きな変更も無く、ただただハイブリッドによる盟約違反を減少させる様に念押ししての閉幕となり、私も神父も肩の荷が幾分軽くなったような気がした。
何故シードやリーディアが私達人間の擁護に回ったのかは解らなかったが、こちら側に優勢に終わったのだからあまり気にすることではないだろうと、久しぶりの酒を味わいながら神父は胸を撫で下ろしていた。
確かにそうだが、そこにはヴァンパイアなりの思惑があったのだろうと推測している。
シードヴァンパイアと、同じハイブリッドなのに意見を違えるリーディアとヘヴンリー。
私が片足を突っ込んだ世界はまだまだ未知だらけ。

だが、私にとってはこれからが勝負だ。
その先が漆黒の闇の世界だとしても。





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