残-ZAN-  第四夜 灰色の風 



3.狂える月(2)




「ルイのお気に入りの女だろ? この城に出入りしてるヤツなら名前くらいは知っているさ。んで? その女が何?」

「え?」

思いも寄らぬ答えが返ってきて、私は思わず閉じていた目を見開いた。
それに対してヘヴンリーがひどく怪訝そうな顔で私を見つめてくる。

「いや、その……、そのドールがまだ生きているのかなって思って。ホラ、すごいお気に入りだって聞いたから!」

不審そうな色を湛えるヘヴンリーにこれ以上怪しまれないよう、私は咄嗟に思いついた嘘でそうかわした。
けれどそれでは少し言い訳としては弱かったのか、訝しげに眉をひそめたままヘヴンリーは何かを言いたげな表情で私を観察している様だった。
しかししばらくの後、ふっと息を吐くと、微かに微笑んで再びソファに深く背を預ける。
そして青く煌めく瞳を向けて、こう言った。

「あの女はルイにとって特別だ。すべてのドールが殺されようとも、あの女だけは生き残るだろうよ」
「どうして?」
「どうしても。理由なんか分からない。が、俺はそう思ってる。あの女はなんつーか……他のドールとはちょっと違う気がする」
「……そっか。アンタ結構詳しいじゃん」
「だてに長きを生きてきた訳じゃないからな。オマケに配下を持つ身ゆえ、情報には自然と耳が向く。ま、それが良い事なのか悪い事なのかはいざ知らず……だがな」

そう言ってニヤリと笑うヘヴンリーの言葉の端々には、彼の奥底に秘められた黒い思考が見え隠れしている様だった。
だから思い出したのかもしれない。
三者会議において、同じハイブリッドでありながら意見を違えるリーディアとヘヴンリーの事を……。

「ねぇ……、ついでにもう一つ聞いてもいい?」
「何だ? 質問の多いヤツだな」
「別に答えなくたっていいよ。私が勝手に聞くだけだし」

そう言った私をヘヴンリーは興味深そうな顔付きで見つめていた。
そしてその口元は次第に吊り上っていく。

「……。言ってみろ。答えてやらなくもないぜ? 今日は気分が良い」

そうして再び彼の青い瞳が少しだけ私に近付く。
まるで青空みたいだと、ふと思った。
暑い暑い日を突き抜けるような青い空。
そんな色が彼の瞳には宿っていた。

「私さ、不思議に思っていた事があるんだ」
そんな事をぼんやりと思いながらも、ゆっくりと口を開く。
「アンタとリーディアは……同じハイブリッドなのに何であの時まったく別の意見を持ってたの?」
「あの時って?」

青い空に一欠片の雲がさっと流れて来たかの様に、ヘヴンリーの顔色にも僅かな不審の色が宿った。
確かにこれだけでは言葉少なだったかもしれない。
不敵に笑いながら首を横に傾げ、さらにぐっと身を乗り出す彼に、私は少しだけ警戒して逆の方向に身を引いた。
そして先を続ける。

「三者会議の時よ。アンタもリーディアもまったく別の立場を取っていたのはなんで? ハイブリッドはハイブリッドで一つの意見を持ってたんじゃないの?」
「ああ……」

その事かと言いたげな顔でヘヴンリーは腕を組み直すと、窓の外の太陽に目を向けた。
先ほどよりもまた高さを増した光の塊が、遮光ガラスの向こうから私達を見つめている。
ヘヴンリーはしばらく押し黙ってその姿を眺めていた。
だから私も先を促す様な事をせずに、じっと彼が口を開くのを身動きせずに待つ。
異様な空気が流れて行った。
昼の静かなロビーの間を。
だが次の瞬間、ふと鼻を抜ける様な笑い声が辺りに響いた。
はっとして顔を上げると、含み笑いを噛み潰すかの様に肩を揺らしているヘヴンリーと目が合う。
するとヘヴンリーは口元に手をやって、なおも笑いながら何度か頭を振った。

「意見が合う訳無いさ。俺とリーディアは同じハイブリッドでも対極を成す者。この世界が滅びる瞬間でも来ない限りは気の合う事すらないだろうよ」

ハハハと渇いた声でヘヴンリーは笑う。

「対極? 何でリーディアが?」

対する私は何故リーディアがヘヴンリーの対極とされるのかすぐには理解出来ない。
例えば彼とシード、と言うのならある程度想像出来るし、納得出来る。
あまりヴァンパイアの世界について詳しくなかった私ですらも、彼らの間に溝がある事は容易に把握出来た事だし。
しかしリーディアとは?
あんなに人当たりも良いリーディアが、よりにもよってハイブリッドの急進派を束ねるヘヴンリーと真逆の存在と謳われるとは意味が分からなかった。
表情は極めて冷静を装ってみたものの、頭の中は疑問でいっぱいになっていた。
そんな私の様子すらもヘヴンリーは目聡く見破っていたのだろう。
口元をニヤリと引き上げて、目を細めてそして言ったのだ。

「リーディア(あの女)はシードの犬みたいなモンだからな」
「……え……?」

その言葉に私は声を失う。

……何それ……。

「そんな言い方……」

震える手を握り締めて、震える声を絞り出す。
頭の中で何かが音を立てて崩れていく音がした。

「そんな言い方……!!」
「酷いか? そのまんまの意味だけどな」
「ッ!!」

自分でも顔色が変わるのが分かった。
それほどにヘヴンリーの言葉は私の中の闇を呼び起こすには十分だったのだ。
咄嗟にソファから立ち上がり、ヘヴンリーを睨み付ける。
怒りに任せて吐き出される息は、最後の理性の様な気がした。

「今にも飛び掛ってきそうなカオしてんな。それ、お前の欠点だぜ? エルフェリス」

ふっと嘲笑うかの様にそう言ったヘヴンリーに、またもや顔面の緊張が高まっていく。
しかし一方のヘヴンリーはそれすらも楽しそうに見つめている。

……余計にイライラした。

「アンタがリーディアの事気にくわないのは分かった。でもあの言葉は撤回して!」
「撤回? そんな事する訳ないだろう? 俺とリーディアは相違える者。俺はヤツが目障りなんだよ。最ッ高にな!」
「……どうして」

気分の悪い薄ら笑いを浮かべてそう言い放ったヘヴンリーを、私は出来る限りの侮蔑を込めて睨み付けていた。
けれどヘヴンリーは相変わらず動じない。
余裕たっぷりなところを嫌と言うほど私に見せ付けてくれる。

「俺がハイブリッドの革新派のトップだって事はお前も知っているんだろう?」
「それがどうしたって言うのよ」

今更そんな話かと苛立って、私は声を荒げたまま受け答えする。
しかしヘヴンリーはその回答を満足だと言わんばかりに何度か頷いた後、さらに話を進めていった。

「なら話は早い。リーディアは俺達と敵対する勢力のトップなんだよ。シードの世を頑なに守り通そうとしている保守派どものなッ!!」
「……え?」

保守派?

その言葉に、一瞬にして怒りを忘れた。
聞いた事のない新たな勢力の存在を知らされて、固まってしまったのだ。

「保守派って……何?」

今までに一度もそんな勢力を耳にした事などなかった。
神父と共に教会に在った時も、ハンターであるデストロイの武勇話の中でも、ヘヴンリー率いる急進派の名は出る事はあっても保守派という勢力の名は一度たりと聞いた事は無かった。

「知らないのも無理ないさ。奴らは地に隠れた存在。表向きは他のハイブリッドと何ら大差無くとも、裏ではシードの名代として俺の配下を潰しにかかる戦闘集団なんだよ。その主力トップがリーディア。あの女なんだ」

不敵に笑う中にも忌々しさの見え隠れする顔で、ヘヴンリーは半ば吐き捨てる様にそう言った。
急進派とも革新派とも言えるヘヴンリーらの勢力と真っ向から対立する戦闘集団。
そのトップが……リーディア?
揺れる瞳が何度も何度も地を這う。

確かにリーディアは女性にしては随分と長けた戦い方をしていた。
もちろん実際のヴァンパイア女性がどれだけの体力や戦力を持っているのかは定かではないが。
忘れもしないあの新月の晩。
並み居るハイブリッドやアンデッドを悉く無に帰していたのは間違いなく彼女の功績だ。
大量の男を相手に彼女は見劣りする事のない圧倒的な力を見せ付けていた。
四方八方どこから襲われても的確にほぼ一撃で相手を仕留めるあの姿は、きっと一生涯忘れたりはしないだろう。
まるで別次元で起きている事の様に、あの時私は戦うリーディアに見惚れていたのだ。
しかしそれもこれもすべては戦闘に慣れた者だったから?

「あの女はシードに仇なす輩には無情だ。慈悲の欠片も無い。まるで相手を虫ケラの様に蹴散らす。すべてはシードの為に」
「……」

ヘヴンリーの言葉に私はしばし返答の意を忘れた。
もちろん彼の言う事のすべてを真に受けたからじゃない。
ヘヴンリーはあくまでも革新派としての立場から見たリーディアの印象を言っているのであって、彼女を知るすべての者が彼と同じ感想を持つかと言えばそうではない。
例えばシードから見れば、彼女は自分達に楯突く者を葬り去ってくれる頼もしい配下なのだろうし、私達人間から見ても、非道の限りを尽くす急進派のハイブリッドに比べれば、リーディア率いる保守派とやらの方が印象的にはいいだろう。
それに……。

「アンタ達と同じ事を別の立場でしてるだけじゃない」

ふとそんな言葉が口から零れていた。
それに対してヘヴンリーの表情が一瞬変わる。

「リーディアを悪く言う資格はアンタには無いよ、ヘヴンリー」

そして次に口から出たのは批判の言葉。
そうだ。
リーディアの保守派勢力がしている事と言うのは、ヘヴンリーらが私達人間にしてきた事と何ら変わりはない。
むしろ人間にとってその行動は有用である事ではないだろうか。
血の盟約を無視した行動を取る急進派勢力を頼みもしないのに闇の彼方へ消し去ってくれるのだから。
それに私は知ってしまった。
今のシード達が人間をむやみやたらに襲う事は無いという事を。
いや、私が知らないだけで人間を滅ぼす野望はもしかしたら存在しているのかもしれない。
けれどそんな事はどうでも良くなるくらい、彼等は優しくて、そして誰よりも人間臭い。
種族が違うと言うだけで、人間の血を啜らないと生きて行けないと言うだけで、彼等は私達人間と何ら生きる上で差異はない。
そう思うのだ。
今となっては。

けれど……。
目の前にいるヘヴンリーは違う。
この男が望むのはヴァンパイアによるヴァンパイアの為の世の中であって、そこに共に生きる人間という種族は存在しない。
今、世界が共存へと動く中を、このヘヴンリー率いる急進派のハイブリッド達がその計画を潰さんと躍起になっている。
何代も前の村の神父がようやく結ぶに漕ぎ着けた盟約を無視し、シードに従う素振りを見せながら、裏では堂々と彼等を裏切る行為を繰り返して。
その度に人間(私達)は翻弄される。
死と闇の恐怖に怯えながら。

私とヘヴンリーの間を静寂と言う名の風が吹き抜けて行った。
交差しているのは視線のみ。
互いに互いを見極める様に、言葉は無くとも視線で牽制しようとする。
けれどその沈黙を最初に破ったのはヘヴンリーの方だった。
突如ほうっと息を吐いて、そして微かにその顔に笑みを浮かべる。

「……別の立場……か」

そしてそう呟いて、再び私に視線を合わせてきた。

「それだけ俺とあの女の遺恨の根は深いって事だ。いつか必ずシードは滅びる。たった四人しかいないシードの為にこの身を削るなど愚かな事。ならば俺はハイブリッドとして生き残る為の策を考え続けるさ。ハイブリッドを劣化種などとは呼ばせない!」

幾分興奮しているのか、ヘヴンリーは先ほどよりもやや語気を荒げてそう言った。
その気持ちも分からなくもないが……。

「でもそれなら共存だって……!」
「ふん、人間と同等に生きるなど、ヴァンパイアとしての価値が下がる。俺が目指すのはヴァンプが第一勢力として台頭していたあの時代の再現だ。人を糧とし、永劫の時を“らしく”生きる。それこそが真のヴァンパイアだ。盟約など俺達には必要ない」

あくまでも共存姿勢を示す私に対し、ヘヴンリーは挑発的に鼻を鳴らしてそう吐き捨てた。

「どうしてそこまで……」

ヴァンパイアだけの世を望むのだろう。
共存はあらかた順調に進んでいると思っていたのに、これから先もヘヴンリーはそれを受け入れようとはしないだろう。
ヴァンパイアだけの世界を理想としているうちは……。

「シードの親を持ちながらハイブリッドとして生まれた者の気持ちなんて、人間のお前には分からねぇだろうよ」

ヘヴンリーは最後にそう言うと、僅かに眉をひそめて自嘲的に笑った。
そしておもむろに立ち上がると、城内への回廊へと足を踏み出す。
私はそれを目だけで見送った。
すると一度だけ足を止めて、ヘヴンリーが振り返る。
曇りのない綺麗な青の双眸が、私に向けて細められた。

「じゃあまたな、エルフェリス」

そう言ったヘヴンリーの顔にはもう、負の印象は感じ取れなかった。
いつものように嫌味なほど勝気な雰囲気を纏い、昼間だと言うのになおも暗い城内へと消えて行く。
その後姿を私はただただ無言で見つめていた。

「……アンタの気持ちなんて分かるわけないじゃん」

無意識に呟いた言葉に、無意識のまま哂う。
ヘヴンリーの気持ちなど分かるはずもない。
私にはそもそも親という者がいないのだから。

「……」



――ねぇ、エリーゼ。



エリーゼ。
今、どこにいるの?
この城内に……私の傍にいるの?
ああ、神様どうか。
エリーゼの元に辿り着けます様に……。

そう思いつつ、ようやく自室へ戻る気になった私も遅れて立ち上がる。
先ほど見たあの衝撃的な光景は未だ頭を離れない。
そしてそれを目撃した私に対してシード達がどの様な態度を取るのかも、考えれば考えるほど不安で堪らない。
今までこの城に於いて私の最大の味方はリーディアとシード達だった。
けれど私は見てはいけないモノを見てしまったのだ。
彼等の態度が一変する可能性だって十分に考えられる。

「……」

雑念を振り払う様に何度も何度も首を振った。
覚悟を決める時なのかもしれない。
エリーゼと言うドールに会う前に命を落とす気はさらさら無いが、それでも今まで通り……と言うわけには行かないだろう。
最近緩みがちだった気を引き締め直して、一歩一歩を確実に踏み出す。
また夜が来ればルイやシードらと会う事もあるだろう。
それまでは部屋でゆっくり休もうと心に決めて、私も薄暗い回廊を一人歩き出した。





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